『日本がアブナイ!』の今朝のエントリに、小沢一郎事務所だかがXで発して『中日スポーツ』が絶賛したらしい、安倍政権の経済政策をおちょくった漫画が紹介されている。下記に埋め込みリンクを示すが、弊ブログ3大NGワードの1つが記事のタイトルに用いられている。
漫画はうまく働かないトリクルダウンを示しているが、安倍政権の経済政策は必ずしもトリクルダウンの経済思想に基づくものとは認められない、とまでいえるかどうかはわからないが少なくともトリクルダウン理論は同政策のエッセンスではないので、批判として筋の良いものとはいえない、あるいはフェアな批判ではない。大衆受けはするかもしれないけれども中身がないといえる。批判はもっと正確にやらなければならない。
10年近く前にトマ・ピケティの『21世紀の資本』(邦訳みすず書房2014、フランス語原書2013)に豊富に示されていたグラフを見ながら改めて思ったことは、経済の拡張期にはほっといても格差は縮小し、経済の縮小期にこそ格差が拡大することだった。
これは考えてみれば当たり前の話で、好況期にはいくら富裕層が所有欲を全開にして富を独り占めしようとしても国富がそれを上回る勢いで拡大するから、金持ちが増やした富の比率は貧乏人が増やした富の比率を下回る。貧乏人の年収が100万から500万に増えた時、金持ちの年収は2000万から3000万にしか増えないとか、そういうイメージだ。だから額としては金持ちが増やした富の方が貧乏人が増やした富よりも多いけれども、所得の差は1対20から1対6に縮小する。つまり、好況期にはほっておいてもトリクルダウンが働くといえる。だから日本の高度成長期に「一億総中流」と呼ばれる時代があったのだ。
日本では1994年から今に至るまでずっと続いている経済停滞ないし縮小の過程ではこれが正反対になる。それは今後さらに顕著になると思われるが、上記の逆のことが起き、政府が何もしなければ格差が拡大する。これを弊ブログは「椅子取りゲーム」と表現しているが、「サバイバル競争」という言葉の方が一般的かもしれない。
そういう時期にこそ「強い再分配」が求められる。今はその時期だ、というのが私の認識だ。そんな時代に左派までもが「減税真理教」にかまけるとは、いったい何をやっているのかと言いたい。
本来、1980年代後半のバブル経済のような時期にこそ財政再建を進めなければならなかったが、愚かな竹下登政権はそれを行わずにバラマキ*1に走り、財政再建の絶好期を逸するばかりかバブル経済を無駄に過熱させ、その後の日本に最大級のダメージをもたらした。竹下はすでに故人だが、あの時点で既に万死に値した。わが国の積極財政派に、当時の竹下政権の所業を正しく批判する人がほとんどいないことは彼らす以外の何物でもない。「いついかなる場合にも積極財政派」などであってはならない。好況期には財政引き締めを行い、不況期には積極的な財政支出を行うことなど高校生でも、いや下手をしたら中学生でも知っていることではなかろうか。
最近、立民の泉支持者のTwilogを見ていてあれっと思ったのは、岸田文雄が臨時国会の所信表明演説で行った経済政策に関して、立民の代表質問では「供給側の経済政策」という点で一致していたのに対し、民民の玉木雄一郎が「需要が弱っていますよ」という意味の発信をXで指摘したらしいことだった。
この件に関しては玉木雄一郎に理がある。岸田自民と泉立民はともにレーガンばりの「サプライサイド経済学」に走ろうとしているのではないかとの疑念を抱かずにはいられない。
少しネット検索をかけてみると、2021年衆院選における論戦では自民と立民の態度は明確に違っていたことがわかる。下記は2021年10月の東京新聞記事。
以下引用する。
所得再分配の財源 立民は富裕層から、自民は経済成長の「果実」 衆院選公約
2021年10月13日 21時20分
立憲民主党は13日、次期衆院選の公約を発表し、自民党と与野党第一党の公約が出そろった。いずれも格差是正のための所得再分配の強化を掲げるが、立民が富裕層増税などによって実現すると主張するのに対し、自民は企業支援を通じた経済成長の「果実」を賃金に振り向ける仕組みづくりを訴えており、方法論は大きく異なる。衆院は14日に解散され、19日の公示、31日の投開票に向けた実質的な選挙戦に突入する。(我那覇圭、川田篤志)
両党の公約で違いがあるのは、分配の原資の確保策だ。立民は第2次安倍政権以降の経済政策「アベノミクス」が富の偏在をもたらし、「日本の購買力を支えていた『中間層』が底抜けし、貧困層が増え、格差が拡大した」と指摘。富裕層や大企業に応分の負担を求めて財源を手当てしつつ、重点的に家計支援を行い、かつての「1億総中流社会」復活を目指すとうたう。
具体的には、法人税に累進税率を導入し、各種の政策減税で大企業ほど税負担率が低いという不公平を解消。所得に占める株式譲渡益などの割合が高くなると、実質的な税負担率が下がる「1億円の壁」問題を踏まえ、金融所得の税率を現行の一律20%から「国際標準」の30%を視野に引き上げる。将来的には給与所得と合算した総合課税方式に改める方向性も示した。
時限的に年収1000万円程度まで個人の所得税を実質的に免除し、消費税率を5%に引き下げると明記。低所得者への年12万円給付も盛り込んだ。短期的には税収減になるが、枝野幸男代表は記者会見で「緊急対策として、国債を財源にすることには正当性がある」と語った。
立民に対し、自民党公約は岸田文雄首相(党総裁)の「成長なくして分配なし」の考え方を反映。企業の競争力を高めてもうけを増やし、その恩恵をより多く労働者に及ぼす制度を設ける内容だ。賃上げに積極的な企業への税制優遇や、株主だけでなく労働者にも配慮できる経営環境の整備などを具体策に挙げる。
もっとも、分配の前提となる経済成長は容易でない。首相が踏襲するアベノミクスでは政権の期待に反し、富裕層が豊かになれば庶民もいずれ豊かになるという「トリクルダウン」は起こらなかった。首相は数少ない増税策だった金融所得課税の見直しも事実上撤回しており、分配強化の原資をどう調達するのかは不透明さが残る。
(東京新聞より)
枝野幸男は当時掲げた「消費税率を5%に引き下げる」政策は誤りだったとしたため、現在「減税真理教」の信者たちから猛批判を浴びているが、立民はその代わりに「給付付き税額控除」を打ち出しており、これは明らかに新選組などが主張する単純な消費税減税よりもすぐれているのだから批判は正当とは認められない。
それに本来、消費税減税を撤回した云々の些事にばかり目を奪われるのでは、枝野代表時代と今の泉執行部下とでは立民の経済政策観が変わった、あるいは変わりつつあるのではないかという、より重要な問題が注目されずにスルーされてしまう。
少なくとも上記東京新聞と最近目を通した「枝野ビジョン2023」とは、消費税減税か「給付付き税額控除」かという細かい違いは別として、基本的にはブレはない。
それがなぜ、国会の質疑で「供給側の経済政策が必要」という点で立民が自民と一致し、需要側の政策が必要だとする(自民党にすり寄っているはずの)玉木雄一郎に批判されるのか。なぜこのような「ねじれ」が起きてしまったのか。
私は、こと経済政策においては泉健太の経済思想の方が玉木雄一郎のそれよりも相当に「右寄り」だからではないかと考えている。民民については、一方で藤崎剛人氏が指摘する通り、弱者への攻撃を煽る「ネットポピュリズム」の問題があり、こちらの方は玉木の自民へのすり寄りと整合しているが、これは玉木自身が二面性あるいは多面性を持っているからだとしか解釈しようがない。玉木は鍵盤楽器のキーボードを前にして志位和夫と談笑したこともある人だ。
立民に関しては、やはり2021年までの枝野立民と現在の泉立民とでは、経済政策の思想もかなり右寄りに変化してしまったのではないかとの強い疑念を持たずにはいられない。
下記は宮武嶺さんのブログ記事へのリンク。
未だに真面目な立憲民主党支持者の中に泉健太代表支持者が少数でもいるのだとしたら、驚きなのですが、本当にいるらしいんですよね。
古寺さんの前半の立論を見て私が心配なのはむしろ、古寺さんのおっしゃる通り自民も維新もそれぞれに凋落したり伸び悩んで、偶然にもダメダメな泉立民でも辛うじて150議席を取ってしまって、泉執行部が次の総選挙後も続くんじゃないだろなということです。
それくらい、岸田内閣も支持されず、維新もその実力が大阪万博などで見透かされてきた今、よりによってなんで立民の代表が泉氏なんだと歯噛みをしたいくらいです。
URL: https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/947d7905dbf902ede6785d037b41ef21
私が日々Twilogを閲覧している某氏がその典型的な例なんですけど、「真面目な立憲民主党支持者の中に泉健太代表支持者が少数でもいる」のは確かなんですよ。本人が真面目なだけになんだかなあと思ってしまいます。
「偶然にもダメダメな泉立民でも辛うじて150議席を取ってしまって、泉執行部が次の総選挙後も続くんじゃないだろな」、これは最近私も思うようになりました。少し前までは思いもしませんでしたが、岸田と維新の失速があまりにも急激なもので。
そんな局面なのに「よりによってなんで立民の代表が泉氏なんだ」とは、私もほぼ毎日思っています(笑)。
そういえばプロ野球の読売球団にソフトバンクから泉という姓の党首ならぬ投手が移籍したが、彼は泉健太とは全く違って昨年のレギュラーシーズン最終戦で藤本監督(当時)の迷采配の犠牲になった人だ。Wikipediaには、
チームが優勝マジック1で迎えたロッテとのレギュラーシーズン最終戦[44]では2点リードの6回裏から登板するも、山口航輝に逆転3ランホームランを許し[45]、チームはリーグ優勝を逃した。試合後のファンへの挨拶では涙を流し[46]、自宅に戻ってからの1週間は外出を恐れるほど、誹謗中傷に怯える日々を過ごした[47]。
と書かれている。同投手が現Xでホークスフーリガンからすさまじい罵詈雑言を浴びた件は当時私も実例を確認した。しかし「泉投手」ということで立民党首(代表)の泉健太を連想させ、私の大嫌いな読売に移籍し、泉投手の「圭輔」という名前も新自由主義者にしてロシアびいきの、これまた私が大嫌いな元サッカー選手・本田圭佑*2を連想させるなど、よくもこれだけ揃った(私から見れば)間の悪い人もいるんだなあと思ってしまった。
そんなわけで、泉圭輔投手の名前を見ても泉健太を思い出して腹が立つ今日この頃なのだが、お口直しというよりは火に油を注いでしまうかもしれないが、弊ブログにいただいたコメントを2件紹介して今日の記事を締めることにする。
匿名意見
共産党支持層については、発信力のある松竹伸幸氏や神谷貴行(紙屋高雪)氏の件もさることながら、大阪や埼玉で起きたパワハラの件でパワハラを受けた側に寄り添おうともせずにひたすら党執行部にすがるだけの支持層や、これらの件をスルーするブログやSNS層のシンパたちには心底からの失望しか感じません。パワハラを受けた本人である田平まゆみ氏(全富田林市議)は、自分はまだ余力があるから声をあげられるという意味のことを書いておられました。つまりパワハラの件をスルーする党員や支持者たちは、表には現れてこないパワハラその他の被害者を疎外しているとしか言いようがないわけです。日本でもっともラディカルなはずの政党の支持者がそんなあり方で良いとは私には絶対に思えません。
立民支持層もそうで、どう考えても党内権力工作しか頭にないように見える泉健太の保身をいくら指摘しても、組織防衛に凝り固まって「アーアー聞こえなーい」の態度しかとれないようではどうしようもありません。権力工作を行う側はそういう支持者たちの心理機制も十分頭に入れた上で、権力をとってしまえばこちらのものだと計算しているわけです。
宮武嶺さんに過分のお褒めの言葉をいただいた「小選挙区制と政権交代の起きやすさの相関」の一件にしても、あれは私も記事を書きながらたまたま気づいたことでした。そしてそれに気づくや否や怒り心頭に発しました。
そもそも民主党系の政治勢力は、政権交代可能な二大政党制を訴えて2000年代に勢力を伸ばして政権交代に至ったわけですが、小選挙区制を私は全く支持しませんけど、彼らにとって必須のツールで、あの制度があるからこそ対立する政権政党が「やらかした」時には迅速な政権交代が可能なシステムのはずなのに、投手ならぬ党首が悠長に「再建には時間がかかる」とかいって、衆議院議員の任期より長い「5年」という時間を口にするとは、あれは今後5年間自分が党代表にとどまるつもりでいること以外の何も意味しません。岸田文雄が「やらかしている」今現在にそんなことを口にするとはなんたる厚顔無恥か、と激怒したわけです。そんな党首の言葉を疑いもせず鵜呑みにする旧民主・民進系の支持者っていったい何なんだよ、とそれにも腹が立ち、昨日は激しい怒りに突き動かされて長文を書いてしまいました。もはや立民支持層の多くともろくに対話もできないような空気が固まりつつあるんだなあとの閉塞感を持たずにはいられません。
泉の話で衆院選で150議席と言うと、やはり半年前のこの発言を思い出しますね。↓
立民 泉代表「衆院選150議席未達なら辞任」発言 党内からは…
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230513/k10014066031000.html今回の発言と合わせると、まさに泉がやろうとしていることは、「わしが(立民を)壊した」ですね。味方からのお前は邪魔だ、どけ、という声に対して、いいや、次まで居座る、と言って、次の次まで負けを決定づけようとしているも同然なのですから。
ちなみに、こんな下りもありあす。↓
>ただ、泉氏が掲げた150議席は、今の97議席のおよそ1.5倍に当たり、これまでに擁立が決まっている候補者はおよそ140人にとどまっています。
井戸まさえ氏のような例が、この意味で「擁立が決まっている候補者」に含まれないのかは、この記事だけでは読み取れませんが、泉が党内政治のために候補者選定を遅らせているというのは、kojitakenさんが指摘してるところですよね。
やはり、泉「わしが壊した」ですね。
この件に関しては、これも蒸し返したくなります。↓
連合会長が立憲・泉氏に苦言 「150議席切れば辞任」に刺したクギ
https://www.asahi.com/articles/ASR5K6K58R5KUTFK006.html芳野・泉「わしが(左派を)壊した」ですね。
「泉が党内政治のために候補者選定を遅らせている」というのは、コメント欄にしか書いた記憶がないのでここで改めてブログ記事の本文に書いておきますが、これも比較的最近気づいたことです。
泉の支持者は各都道府県の連合会のせいにしたがりますが、今年の年初に私が立民支持者の現Xを通じて知ったことの1つに、泉が一昨年の代表選で衆院の選挙区ごとの総支部長の早期任命を公約にしていたことがあります。代表選での公約ともなれば泉の責任が免れないことはいうまでもありません。しかし昨年の参院選当時、「反泉健太」系と思われる「立憲ナビ」という現Xのアカウントが指摘したところによると、立民の総支部長任命は全然進んでいません。私はかなり頻繁に立民の下記URLを参照しています。
リンク先の名簿に掲載される総支部長が増えるペースは呆れるくらい遅いのです。枝野幸男時代とは比較になりません。今のところ71人ですが、この名簿には現職の衆院議員は含まれていません。ですから、菅直人のように既に引退を表明した人を除いた現在の衆院議員とリストに載った71人の合計が、現時点での立民の衆院選候補予定者とみて良いと思います。現時点では150人よりは多いものの160人には届かない数字でしょうか。
東京都には次回の衆院選では30の小選挙区がありますが、総支部長には7人の名前しかありません。もちろん井戸まさえ氏の名前もありません。
資金力と並ぶ権力の大きな源泉の一つが人事権であることはいうまでもありませんから、これは「泉が党内政治のために候補者選定を遅らせている」としか私には解釈できないわけです。枝野時代には大半が旧立民系で占められていたのを、旧希望系や、新人にしてもよりネオリベ的な傾向の強い人の比率を増やそうとしているのではないかと私は強く疑っています。
これが立民の泉健太体制の実情なんですよ。私にはとうてい支持できません。仮に井戸氏が立民公認から漏れて某元号新選組の公認で出馬する事態になるなら、とは時々思うところですが、何度考えても、これまでの節を曲げて選挙区では新選組候補に投票することになるとの結論しか出ません。もちろん比例では新選組にも立民にも絶対に入れませんけど。
suterakusoさん
> 基本、岸田というか自民は、断固、「強きを助け、弱きを挫く」なんだというのは、もっともっと共有されるべきですね。でも、パイが小さくなっているので、「私を助けない」という「リアリスト」思考で終わってしまっているように思います。
その通りなんですよね。なかでも、じぶんが注目したいのが、引用部分の後段で言及されている「『リアリスト』思考」です。
もし、困っている「私を助けない」という思い「だけで」政党を選ぶなら、その態度は、「困っていない私」は「あなた方を助けない」という思考で既存政権を支える層のそれと表裏をなすだけのものになるし、連帯を広げていくような性質はもたないだろうと断言できる。
もちろん、本当に困っている人々を責めたいわけではなくて、そうした人々に対して、党内権力闘争のなかで自らもリアリスト思考に陥った姿を見せつけている野党議員に、ここでも不満を言いたいわけです。
じぶんは、松竹氏の除名を是とするかのように見える(それに、紙屋氏も助けついないように見える)共産党員や、泉氏の権力行使を結果としてではあれ容認している立民議員、党員、サポーターに、はっきり言って失望している。
庶民のリアリスト思考が本当の同情、そして連帯を生み出すことが無いように、野党議員のリアリスト思考が、庶民からの後押しを受けることは絶対にないだろう。
エゴイストは誰からも背中を押されない。僕だって食うに困ればまず自分が生きのびることを優先するが、下落傾向が続いているとはいえ、ここは日本で、まだ恵まれた国だ。
共産党員や立民議員は失職したら飢えて死ぬのだろうか。物を言えば命を狙われるとでもいうのだろうか。
椅子取りゲーム「だけ」をするなら、強い者につくにかぎると庶民は知っている。(党内ポストの)椅子取りゲーム「だけ」にしか関心がない弱者=野党など、庶民だからこそ、見限るにかぎると知っているのだ。
一刻も早く変わった方がいい。椅子取りゲームなんて、ただの姥捨てで、何の人間性も工夫も感じない。
今の日本に「政治」があると本当に言えるのだろうか。
すみません。かなりズレたレスをしてしまいました。