kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

少なくとも「ネット論壇」界隈で日本版MMTの議論はすっかり下火になっているように見える。MMTのお題目を唱え続けて「野党共闘」を拒否する山本太郎を『しんぶん赤旗』が批判したのも、共産党がMMT政党としての新選組を見限ったことを意味するのではないか

 下記記事のコメント欄より。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 ぎすぎす

山本-枝野の関係性について、ブログ主とこたつぬこ氏は主張が異なると思います。それは、山本-野田の関係性への見解の相違にはっきり現れています。

こたつぬこ氏は、野田氏が消費税増税の三党合意の立役者だから、消費税減税原理主義のれ新からすると攻撃対象、と言いたいのでしょう。つまり、(経済・財政)政策の違いによる対立と言っているわけで、枝野氏についても同様に2021年衆院選の時の野党共闘で消費税減税の踏み絵を踏まなかったことが対立の根源だ、という見解に相違ありません。これはブログ主の言う、
>それは「希望の党」騒動で枝野がヒーローになったからだ。本当は俺がなるべきヒーローに枝野がなりやがった、許せない。
という、よく言えばライバル意識、悪く言えば妬み根性による感情的なしこりとは全然別次元の話です。
じゃあブログ主の言われるように、手塚仁雄氏はどうなんだ、というので、そういえばこの人の見解を見たことが全然ないなと思ってweb検索してみたのですが、あまりの振れ幅にちょっと笑ってしまいました。

2012年
https://www.t440.com/%E5%86%85%E9%87%8E%E5%B8%AD%E3%83%BB%E5%A4%96%E9%87%8E%E5%B8%AD/2012%E5%B9%B412%E6%9C%883%E6%97%A5-%E5%86%85%E9%87%8E%E5%B8%AD%E3%80%8C%E5%AE%98%E9%82%B8%E7%A7%98%E8%A9%B1%E3%80%82%E6%B6%88%E8%B2%BB%E7%A8%8E%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E6%B1%BA/
>野田さんとも何度も官邸で議論したけど、最後に言うんだよ。『ヨッシーさぁ、次の選挙より、次の世代のことを考えようよ』ってね。『ずっと棚上げしてきたんだろ、自民党が』その時、ストンと腑に落ちたんだよな。子どものことが頭に浮かんでさ、そうだ、誰かが覚悟を決めないと、政治は動かないんだって

2021年
https://mainichi.jp/senkyo/49shu/meikan/?mid=A13005001001
>問13:現在10%の消費税率について考えに近いのはどれですか。
>回答:引き下げるべきだ
山本氏にしてみれば「改心した」ということなのかもしれませんが。しかし子どものための覚悟はどこに消えてしまったのでしょうね。

 

 こたつぬこ(木下ちがや)氏は権力欲や権力闘争のことを言っているのではなく、経済政策のことを言っているのだとのご指摘ですが、そうかもしれません。私がXに再びアクセスできるようになったのは、アカウントを開設した数日前からで、その間こたつぬこ氏のXの他の発信者とのやりとりはほとんど見ていませんから、その間に氏がどういう論争をしていたのかもよく知りませんし。

 今回の山本太郎共産党しんぶん赤旗)の応酬で、山本が相変わらずの日本版MMTのお題目を繰り返し、わが組の経済政策に乗れない党とは組めないと言ったのに対し、しんぶん赤旗共産党は正統的な再分配の立場に立つ、それに対して新選組は安部政権の経済政策(例のカタカナ6文字)をかなりの程度積極的に評価する立場に立っているではないかと書いていた、私はそのように解しました。

 この議論では、私は基本的にしんぶん赤旗の側に立ちます。

 山本が日本版MMTにかぶれて以来、彼は「消費税減税」ないし「消費税廃止」にアピールを特化する戦術をとりました。それで共産党社民党などが組の味方であるかのような印象操作を行い、それが「ネット論壇」では効果をずっと発揮してきたわけです。                   

 しかし、私の見るところ新選組の経済政策の行き着いた先は、2022年秋にイギリスのエリザベス女王が亡くなった頃にごく短期間だけ政権についていたリズ・トラスを組の経済政策のブレーンと目される長谷川羽衣子が発したトラス絶賛のXでした。

 つまり、新選組の経済政策は、外形的には保守政党経済右派と変わらなくなっていると私はみています。現に山本太郎は元自民党安倍派で今では新党くにもりに属する安藤裕と非常にウマが合います。

 一方、経済政策で野田佳彦枝野幸男を同じ括りにする発想の方が、私には全く理解できません。こたつぬこ氏がそういう考えをしているかどうかは知りませんが。

 18年間のブロガー生活の初期に私が注目したのは、枝野がキヤノン偽装請負を国会で厳しく追及した頃でした。当時の私は枝野を松下政経塾出身と誤認していたくらい何も知らなかったのですが、ゴリゴリの経済右派とばかり思っていた枝野にそういう面があったのかと認識したのでした。それが2007年頃ですかね。

 一方の野田佳彦はずっと「ネオコン」の括りに入れて良い人でした。彼の財政政策の基本は、MMT界隈からも目の敵にされている神野直彦氏なども批判する「財政均衡至上主義」でしかありません。2011年に成立した野田佳彦政権はそういう性質の政権であって、私は当時から彼を「野ダメ」と呼んで批判していました。少し前に、宮武嶺さんが私に「野田佳彦小沢一郎よりは高く評価していた印象がある」と書かれていましたが、それはおそらく宮武さんがオザシン(小沢一郎信者)たちの宣伝を真に受けてしまわれたための事実誤認であって、私が野田佳彦を、彼が真面目人間であること以外の点で肯定的に評価したことは一度もありません。その真面目な性格に関しては、真面目な人が間違った信念を持ってしまっただけになおさら性質が悪いと何度か論評したことがあります。

 枝野幸男は本質的には保守政治家であって、新自由主義の問題を認識して姿勢を改めたのが2000年代のことだったいう意味のことを以前も言っていたので、保守政治家としての限界は明らかですし、新自由主義の問題点の認識も遅すぎるとは思いますが、でもこの人には流れ(風)を読む能力が一定程度あるとずっと思っていました。たとえば2010年代の長い安倍政権時代に、金融緩和政策は政権を取ってもすぐには変えないと言っていたことをブログ記事に取り上げ、肯定的に評価したことがあります。

 だから2017年に小池百合子枝野幸男を「排除」した時、えっ、小池は枝野を「排除」してくれるの、ラッキー!と大いに喜んだものでした。昨日目にしたXの中に、小池に枝野排除を進言したのはおそらく樽床伸二だろうと書いたものがありましたが、この樽床というのは2010年6月の民主党代表選で小沢一郎に推された右派新自由主義者です。小沢はそんな樽床を「社民党にも理解される人を」と言いながら推薦したのでした。今回、小池が乙武洋匡を自公民に押しつけようとした時に思い出したのは、この例や2011年民主党代表選に「原発の守護神」と私が呼んでいた海江田万里を「小沢ガールズ」たちに押しつけたなどの事例でした。小沢にしても小池にしても、自らが共闘相手だの配下の者だと見ている相手に対し、一定程度コケにした時にどこまでついてこられるだろうかと試す性癖があるように見受けられます。私はそこに権力者の奢り以外の何物も見出せません。

 「希望の党」騒動の一件に話を戻すと、新党結成を迫られた肝心の枝野が即決できませんでした。「枝野立て」の声が澎湃として湧き上がる中、1日置いて旧立憲民主党を立ち上げて臨んだ衆院選では、選挙戦が進むほどに立民の躍進と希望の党の没落が進んだことは記憶に新しいですが、東京15区には希望の党から柿沢未途が立ったので立民の候補は出ませんでした。当区に立民の地盤が弱い理由の一つはこの時のいきさつが関係しています。だから、まさか当区から立民の候補が衆院補選に出て有力か、もしかしたら本命かと言われるような事態になろうとは、夢にも思いませんでした。

 私は旧立民が発足した時に一定の期待はかけつつも、同党のリベラル勢が枝野の保守政治家としての限界を乗り越えることを望んでいました。しかし2021年の衆院選結果を受けた代表選で元希望の党泉健太が選ばれ、期待とは全く逆の方向に進み始めた時にはひどく失望しました。同じ思いの人が少なくなかったからこそ、2022年参院選で立民は前年の衆院選で得た比例票のおよそ3分の1を流出させてしまったのではないでしょうか。しかしこの選挙での立民の大量流出は、三春充希氏があれほど強く訴えたにもかかわらず、立民支持者の大半は「アーアー聞こえなーい」式の反応しか示していないように見えます。その組織防衛志向の強さは、共産党とその支持者のそれとほとんど変わりません。

 ところで現在は2010年代とは経済状況も一変しています。ところが先日の「野党共闘には加わらない」との声明は、2010年代から認識が全くアップデートされていないことを思わせます。日本版であるかどうかは問わず、(私がその界隈には近づかないと決めている)MMT理論は仮説に過ぎないはずで、物価が動き始めた現在、その仮説の正否が問われるのはこれからのことでしょう。

 でも山本太郎に見られるのは(日本版)MMT金科玉条として信奉するスタンスだけです。そんな主張と正統的左翼の共産党とでは比較にならないでしょう。今回、しんぶん赤旗が紙面で山本(新選組)を批判したのも、MMTはもう現状に合わないとの判断があったからではないかと推測しています。

 それに、いくらネット検索をかけても、MMTまわりの議論はすっかり下火になっているとしか思えないんですよね。もちろん専門筋ではまともに議論されてるんでしょうけど、少なくとも「ネット言論」界隈にそれが降りてくる状況にはないのではと。

 何より、自民党の足腰がすっかり弱った現在の政局は、戦国時代のような様相を呈し始めています。そんな時代だから、特に国民民主党玉木雄一郎)に露骨にみられるような、権力者たちが自らの欲望をむき出しにするような状況になっているのではないかと考えています。それと同じことが新選組まわりでも起きているのではないかというのが私の認識です。

 右からも左からも総攻撃を受けた玉木は突然「政策が一番大事だ」とXで言い出したようですが、現在は政策が政局の方便に使われるだけの時代になっていると思います。