kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

維新と某新選組の支持層が重なることは自明

 堀新氏やまことん氏に私も同意する。

 

 

 維新と伏字新選組の支持層が重なっていることは明白だろう。ともに、いわゆる「既成勢力」に「ガツンという」政治勢力を求める人たちが支持する政党だ。

 ただ違うのは、以下は特に今回の衆院選比例近畿ブロックで当選した大石晃子については確かにいえるけれども組長の山本太郎については少なからず怪しいところがあるとはいえ、「ガツンという政治勢力を求める人たち」を導く先だ。新自由主義を剥き出しにする維新に対して、新選組は経済政策的には左派政党だといえる(政治思想的にはむしろ保守政党で、中には極右もいるが)。

 だからこそ、新選組は「維新主要打撃論」を強く打ち出すべきだと考える次第。奪えるパイは、立民なんかからよりも維新からの方がよほど大きいと思うぞ。何しろ、ボリュームゾーンである無党派層の票が得られるから。

日本シリーズには良いハンデがついた。オリックスとヤクルトは五分五分だ

 日本シリーズだが、やはり東京ドームはスワローズにとっての鬼門だなと最後に思い知らされた第5戦だった。

 タイトルは単純な中学の数学あるいは小学校の算数の話。

 第6戦と、行われることになった場合の第7戦がいずれもオリックスに分があるのは当たり前だが、仮に2試合ともオリックスの勝利確率が70%だとしたら、オリックスが連勝して優勝する確率は49%になる。また、山本由伸と高梨裕稔の先発が予想される第6戦がオリックスの勝利確率80%、沖縄出身の宮城大弥が極寒のほっともっとフィールド神戸(どこが「ほっと」なんだろうか)で先発する第7戦がオリックスの勝利確率60%とすると、オリックスが連勝して優勝する確率は48%になる。前記で第6戦のオリックスの勝利確率が85%だとすると(山本と高梨ならこれくらいではないかと思う)。オリックスの優勝確率は51%になる。

 つまりオリックスとヤクルトの優勝確率は五分五分なのだ。第5戦までヤクルト3勝2敗というのは、実に良いハンディキャップがついた状態だと思われる。

南海ホークスのファンだった「武田泰淳」氏

 タイトルは釣りで、1976年に亡くなった作家とは何の関係もない。ネット検索でみつけたオリックスに関するスポーツ紙のコラムを読んでいたら、記事の末尾の署名を見てぶっ飛んだ次第。

 

hochi.news

 

 以下、記事の末尾を引用する。

 

 かつて近鉄を担当していた記者にとっては、04年9月27日のシーズン最終戦(当時ヤフーBB)が記憶に焼き付いている。近鉄オリックス、翌年から統合される両球団が最後に顔を合わせた。試合には負けたが、梨田昌孝監督が胴上げされ、神戸の夜空を舞った。その輪には相手チームから吉井、大島ら元近鉄戦士も加わっていた。近鉄バファローズ、オリックスブルーウェーブの終わりと、新球団・オリックスバファローズの始まりの瞬間だった。何とも言えない気分でグラウンドを見つめていた。

 その後は分配ドラフト、チームの愛称、本拠地…。ファン心理からすると、様々な面で一体になれない時期が続いただろう。余談だが、記者も子供の頃は南海ホークスのファンで、応援する球団がなくなった経験がある。ストライキにまで発展した球団統合から17年。ファンだけでなく、世間の人々がオリックスの勝ち負けに一喜一憂している光景は、素直にうれしい。(記者コラム・武田泰淳

 

出典:https://hochi.news/articles/20211126-OHT1T51134.html?page=1

 

 武田泰淳記者は(にっくき)読売系のスポーツ報知の記者だが、南海ホークスのファンだったようだ。Twitterアカウントを参照すると、氏は1994年に報知新聞社に入社したとのこと。

 

twitter.com

 

 大卒で浪人・留年がなく、早生まれでもないと仮定した場合、武田記者は1971年生まれと推測される。作家・武田泰淳の晩年に生まれているから、ご両親の少なくとのどちらかは泰淳の大ファンだったに違いない。昨年のコロナ禍初期の頃に武田泰淳の妻・百合子が書いた『富士日記』を読んだが、泰淳といえば酒と煙草ばかりの人という印象だ。しかし作家と同じ名前をもらった子どもはスポーツ好きの少年に育ち、南海ホークスを応援していた。グリーンスタジアム神戸の公式戦のこけら落としは確か1988年の阪急対南海戦(当時の阪急の本拠地は西宮球場)で、阪急が勝ったと記憶する。南海球団が身売りしたのは同じ1988年であり、泰淳記者が高校生の頃だろう。当時の南海はお荷物球団で、泰淳記者は1973年のリーグ優勝はもちろん、南海が野村克也を追い出した1977年の2位も記憶にあるまい。ホークスは翌1978年からダイエー時代9年目の1997年まで20年連続Bクラスを記録した。阪神の「暗黒時代」はおろか、昔の国鉄(現ヤクルト)や大洋(現DeNA)よりもひどいのではないかと思われる長期低迷だったが、ダイエー時代から現在のソフトバンク時代に「金権球団」と化した結果、一転して1998年以降は上位の常連となり、2014年から20年まで黄金時代を築いた。

 両「武田泰淳」氏は「姓名判断」がいかにあてにならないかの典型例だろうなと思ったが、作家の武田泰淳の出生名は「覚(さとる)」だったらしい。

原真人(朝日新聞)がますますエスカレートしているようだ

 もうとらなくなってからかなりになるからよく知らなかったのだが、あの朝日新聞の原真人がますますエスカレートしているようだ。だいぶ古い11月10日の記事だが、ここでは原の記事についた「はてなブックマーク」へのリンクを示す。

 

b.hatena.ne.jp

 

 記事本文は読む気もしない。最近の朝日がやけに維新に好意的な理由がよくわかるような気がするだけだ。本記事は「読まずに批判する」記事というわけだ。記事についた人気ブックマークをいくつか挙げる。

 

岸田首相にほしいサッチャーの道徳的勇気 愛されない覚悟で経済再建:朝日新聞デジタル

本国で嫌われてるのに何故か日本で人気のある人。サッチャーに「道徳的勇気」なんてあったかね。むしろ酷薄な政策を平気でやれる蛮勇しかイメージないわ。

2021/11/10 12:52

b.hatena.ne.jp

 

岸田首相にほしいサッチャーの道徳的勇気 愛されない覚悟で経済再建:朝日新聞デジタル

目を疑った。朝日新聞がこんな維新顔負けな主張を掲げるとは。もうサッチャーみたいな酷薄で愛のない政治を20年以上やってるからこんなていたらくなんだと思ってるが。

2021/11/10 14:00

b.hatena.ne.jp

 

岸田首相にほしいサッチャーの道徳的勇気 愛されない覚悟で経済再建:朝日新聞デジタル

"岸田首相にほしいサッチャーの道徳的勇気 愛されない覚悟で経済再建:朝日新聞デジタル""記者コラム「多事奏論」 原真人" →くたばれ。/(腐れシバキアゲ主義者に対して、言うべき言葉は、まさにこれであろう。

2021/11/10 17:50

b.hatena.ne.jp

 

 そうだな。「くたばれ原真人」の一語に尽きる。

「野党共闘」が同調圧力になってしまってはダメ

 「野党共闘」が同調圧力になってしまってはダメだ。

 なんのために別々の政党に分かれているのか、なんのために「野党共闘」をするのかをよく考えずに「まず『野党共闘』ありき」で物事を考えるという硬直した態度こそ独善そのものであって、だから「野党共闘」への支持が伸びないのだ。

 別々の政党に分かれているのは、もともとは主義主張や思想信条や掲げる政党が違うからだ。民主・民進系のように、小選挙区制に対応して「大きな塊」を作るために考えに幅がある人たちが寄り集まっている政党もあるし、自民党のように権力の維持そのものが自己目的化していて、かつては考え方に幅があったものの現在は右翼(極右)新自由主義でまとまりつつある危険な政党もあるけれども。

 そして、なんのために「野党共闘」をするのかというと、衆院選小選挙区参院選の一人区で、これをやらなければ権力の維持が自己目的化している自民党に勝てないから「共闘せざるを得ない」のだ。そして妥協がなければ「共闘」はできないから「野党共闘」には比例票を減らすなどのデメリットもある。

 それでも「野党共闘」をやらざるを得ないのは、小選挙区制という民意を正しく反映しない選挙制度をとっているからであって、この選挙制度比例代表制で当選者数の大枠を決める制度に再改変することを長期的な目標にする、そのくらいのことはもういい加減「野党共闘」を構成する政党の間で合意がなされて然るべきだ。しかるに、選挙制度のことを言い出しただけでパブロフの犬の条件反射みたいに「現実的でない」と言い出す人たちが野党支持者の中にも多すぎる。惰性力の悪弊だとしかいいようがない。

 選挙制度に関しては、小沢一郎に忖度して何も言えないという論外の人間も少なからずいる。そういう人間に限って「野党共闘」を強要する同調圧力を強くかけたりする。

 そんな同調圧力にはうんざりだ。一人でも多くの人が自分の意見を自由に言い合うようになれることを強く願う。

日本シリーズ第5戦は「ガフの息子」がまたも打たれて舞台は「極寒の神戸」へ

 今年のプロ野球日本シリーズは、選手たちもミスはするが好プレーもするけれど、ベンチワークも好判断をしたり采配ミスをしたりする。

 第5戦ではまず高津監督の同点の7回表での石山泰稚3連投はさすがに無理だったと思うが、中嶋監督が3点リードの8回裏にヒギンズを送っていきなり2四球後山田哲人に同点3ランを浴びたのも采配ミスだろう。しかし試合を決めたのは、同点の9回表に出てきてジョーンズに決勝本塁打を浴びたマクガフの投球だった。今シリーズでヤクルトの2敗の敗戦投手はいずれもマクガフだ。

 メジャーでは6試合しか登板経験のないマクガフにとっては「雲の上の人」ともいうべきジョーンズが代打で出てきてびびったのかもしれない。もともとセットアッパー向きで、クローザーはやや荷が重いのではないかと思わせるマクガフだから、日本シリーズに4度登板して全試合でヒットを打たれ、うち2試合で敗戦投手になったのも止むを得ない。ヤクルト球団にはこのオフこそはクローザーの補強を考えてもらいたい。

 敵地で第1戦サヨナラ負けのあと第2戦を完封勝ち、ホームに戻って第3戦と第4戦を連勝というパターンで思い出されるのは、1992年にヤクルトが戦った相手チームの西武だ。あの年の第5戦は、西武が6点のビハインドを追いついた。デストラーデが同点ホームランを打って西武の勝ちムードになったが、延長10回に池山のホームランが出てヤクルトが勝った。すると、神宮球場での第6戦がシーソーゲームの末にヤクルトがシリーズ2度目のサヨナラ勝ちをして3勝3敗の五分に持ち込んだのだった。下記に1992年の第5戦のスコアを記録したNPBのサイトへのリンクを示す。

 

npb.jp

 

 今年の第5戦で1992年のデストラーデに相当する同点ホームランを打ったのは、今シリーズでずっと不振にあえいでいた山田哲人だった。山田の3ランでヤクルトに傾いたかと思われた流れをジョーンズが止め、オリックスがホームに帰る。

 とはいえ第6戦は京セラドーム大阪ではなく、ほっともっとフィールド神戸で行われる。あの球場には2度オリックスの試合を見に行ったことがあるが、神戸とはいっても山沿いにある。この季節の週末の試合だからデーゲームにすれば良いのにと思うが、テレビ中継の関係だかなんだか知らないがナイターでやる。1994年に初めて西武球場日本シリーズのナイターをやった時も、まだ10月ではあったが寒波がきて、関東平野の化なりの奥の方にある西武球場はずいぶん冷えたはずだ。今年も寒波がきていてしかも11月下旬だ。そんな中、オリックスは山本由伸がまず間違いなく先発登板する。しかしヤクルトの先発はわからない。奥川恭伸が今年ずっと中10日前後で登板していたのは、千葉ロッテの佐々木朗希についてもいえるが、高校野球時代に登板過多気味で故障持ちだからではないかと思われる。その奥川を「極寒」の神戸で中6日で先発登板させるのか、それとも初めから7戦勝負を覚悟して高梨か金久保でくるのか、はたまた奥川と高橋奎二の順番を入れ替えて高橋でくるのか、いろんな可能性がある。

 だが、どの選択肢をとっても、相手の山本由伸が手強いことには変わりはない。7戦勝負になる可能性が高いのではないか。

小川淳也には今回は立民代表に選ばれてもらいたくはないが、捨て難い「意外性」を感じる

 ふーん、そうなのか。

 

 

 以下は上記ツイートからは離れた話。

 「維新へのすり寄り」でリベラル層から悪評紛々の小川淳也だが、元香川1区民の私が思うのは、人間「何を言ったか」よりも「何をやったか」の方が大事だということだ。

 2016年の参院選1人区で最初に共産党候補を「野党統一候補」にしたのが香川県選挙区だったかどうか、記憶はさだかではないが、香川選挙区で共産党候補が「野党統一候補」になったことと、それに小川淳也が骨を折ったことは紛れもない事実だ。だから、小川が「希望の党」騒動の時に同党入りを選択するという間違った(と否定的に評価して良いと思う)判断をしたにもかかわらず、共産党は香川1区に候補者を立てなかった。この事実は大きい。

 反面、今回の代表選でしばしば繰り出す小川の維新への宥和的な言葉というかリップサービスというかは問題だも思うが、それでも言葉よりも行動の実績を評価したい。「言うは易く行うは難し」と言うではないか。ただ、今回の代表選に限っては小川淳也西村智奈美逢坂誠二より良いとは絶対に言えないし、はっきり言って立民代表に選ばれてもらいたくはないけれど。

 ただ「野党共闘」には既にかなりの惰性力があるし、小川自身がそのための既成事実作りをしてきた。この流れはそんなに簡単には変えられない。もちろん「野党共闘」の流れ止めて、これを押し戻そうとする力もそれなりに強くはあるけれど。

 そういえば、今回の代表選で小川が西村智奈美ともども外部からのターゲットにされているというもっぱらの評判だ。小川叩きは小沢一郎が仕掛けているとの説もある。

 

 

 小沢が動く時には小沢の逆張りをするのが正解だと信じて疑わない私は、どうしても小川淳也を否定し去る気にはなれない。

 小沢云々は別としても、小川淳也には一種の「意外性」があるように思える。普通、凌雲会衆院議員が自分の地元の参院選挙区から共産党候補を「野党共闘」候補にしたり、知らないうちにサンクチュアリに入りこんだり、かと思ったら維新に軽率なリップサービスをしたり(もちろんこれは全くいただけない)はしないだろう。こういうキャラクターの人が思わぬ仕事をする可能性があるのではないか。