kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「旧来右翼」に過ぎない正体を露呈したノビー(池田信夫)

ノビー(池田信夫)って本当に学者なのか。そう思ってしまった。


池田信夫 blog : 朝日新聞の「第二の敗戦」

同じように1970年代の石油危機後、原発推進の空気が醸成されると、朝日は激しい原発推進キャンペーンを張った。その先頭に立った大熊由紀子記者が1977年に出した『核燃料』という本は「重大事故の確率は140万炉年に1回」という電力会社の説明を真に受けて、「地震が来ても大丈夫」と強調した。


この部分だけ切り取れば、ノビーは正しい。だが、原発の歴史を知らない読者を誤解させる書き方だ。むろんノビーは知っていて頬かむりしている。

原発は、読売新聞社主だった正力松太郎が旗を振って日本に導入された。政治家では中曽根康弘創始者とされる。放射性物質の処分や放射線の影響などがあまり知られていなかった時代には、読売が推進した原発推進の論調に朝日も毎日も追随していたし、社会党松前重義が中曽根と一緒に原子力合同委員会を立ち上げるなど、原発推進の立場に立っていた。この時代、共産党原発を否定していなかった。

社会党が反原発にはっきり転換したのは、原発の問題が次第に明らかになってきた70年代初め頃である。この頃になってようやく、朝日も毎日も原発に批判的な記事を載せるようになった。その直前、1970年の大阪万国博の頃にはまだ「原子力による電力が万博会場に送られる」ことをウリにしていた。当時私は幼かったが、万博会場に近い関西に住んでいたから万博には異様に強い関心を持っていた。当時私の親がとっていたのは朝日新聞だったが、万博に関連して原発を批判した記事を見た記憶はない。原発に批判的な論調が次第に目立つようになってきたのは、万博が終わって祝賀ムードが去り、それまでの高度成長経済の負の側面に焦点が当てられるようになってからのことだろう。

社会党の政策転換と朝日・毎日新聞原発に批判的な記事が増えたことは軌を一にしているが、次第に強まる「反原発」の機運に逆らうかのように、1973年の第4次中東戦争と石油危機で生じた原油高騰に対応するために時の総理大臣・田中角栄と時の通産大臣中曽根康弘が選んだのが原発増設の政策だったのである。


ノビーが「1970年代の石油危機後、原発推進の空気が醸成されると」と書いた時代背景をより詳細に書くと上記のようになる。朝日新聞は、石油危機に先立って中東情勢の不安定さを早くから察知していて、原発に関する論調を見直す準備も当時から進めていた。それを実行したのは当時科学部長で現在も健在の岸田純之助であり、大熊由紀子はその先兵に過ぎなかった。さらに、実は岸田純之助でさえ時の朝日新聞専務・渡辺誠毅(のち社長)の強い意向に従って "Yes, but" の社論を推進したのだった。

渡辺誠毅よりあとの朝日新聞社長に「左翼」といえる人間はいないが*1渡辺誠毅は親ソ派だったといわれており、前任者の親中派・広岡知男や渡辺と同じ親ソ派の秦正流らとともに左翼といえるだろう。朝日が文革を賛美した当時の社長だった広岡ともども、原発推進に社論の舵を切った渡辺ら60年代〜70年代の左派言論人が犯した罪は重い。

そして今度の原発事故は、朝日にとっての「8月15日」だったらしい。社説では一転して「原発ゼロ社会」キャンペーンを張り、大野博人オピニオン編集長はこう宣言する:

脱原発について、できるかどうかから検討するというのでは、まるで3月11日の事故が起きなかったかのようではないか。まず「原発をやめるべきかどうか」について覚悟を決め、「やめることができるかどうか」が突きつける課題に挑む。福島の事故は、考え方もそんな風に「一変」させるよう迫っている。


これは1945年8月14日の社説と、気味が悪いほど似ている。共通しているのは、可能か不可能かを考えず、理想を掲げて強硬な方針を唱える姿勢だ。戦時中は大本営に迎合し、敗戦すると一転してGHQに迎合する。高度成長期には電力会社に迎合して原発推進キャンペーンを張り、事故が起こると一転して「原発ゼロ」に転向する。福島事故は、朝日新聞にとっての「第二の敗戦」なのだ。

「空気」を読んで大衆に迎合する朝日新聞の姿勢は、見事に一貫している。それは新聞の販売促進策としては正解である。読売や産経のようにオーナーが自民党や財界とつながっていないと、新聞は左翼的なバイアスをもつ。それは政府を支持するより批判したほうが売れるからだ。


これはジャーナリズムというものが「権力のチェック」という機能を本来持つべきであることを無視したトンデモ論だが、部分的には正しいことを書きながらノビーがこのようなトンデモな結論に至るのはなぜかというと、それは朝日を批判した方がブログ記事の読者が増えるからだ。つまり、ノビーは読者に媚びて記事を書いている。そして、原発を維持することが本当に現実的なのか、という現在多くの国民が持っている疑問を、ノビーはもののみごとにスルーしている。

このような傾向は朝日新聞に限らない。日本で秀才と呼ばれるのは先生の意図に迎合して答案を書ける学生であり、出世するのは上司の意図を忖度して企画を出す社員だ。空気には「ネットワーク外部性」があるので、いったん支配的になった空気は、破局的な事態に直面するまで変わらない。そして最終的に破綻すると、空気は一挙に変わる。

これを「日本的ジグザグ型進化」と呼んだのは山本七平だった。彼は70年代の反公害運動を冷静に分析し、そこに日本軍と同じ行動を見出した。


山本七平の名前が出てきたところでずっこけてしまった。あの「空気の研究」の山本七平。偽ユダヤ人の「いざや、便出さん」ことイザヤ・ベンダサンの正体である山本七平。それこそ70年代に保守派の熱烈な支持を受けた「オールド右翼」だよ。なんだ、ノビーも結局古い体質を持つ俗物なんだなと思って脱力してしまった次第だ。

*1:それどころか、1999年に社長に就任して「朝日を普通の新聞にする」と宣言した箱島信一や、2007年に船橋洋一主筆に登用した(船橋は2010年定年退職)現社長の秋山耿太郎は明らかに「右寄り」の人物だ。