kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

日本シリーズ中継をぶち壊しにしたTBSのアナウンサー・初田啓介に「喝」!

現在はもう地上波でプロ野球中継をほとんどやらなくなったし、関東では仮にやっていてもあの忌まわしき「読売戦」にほぼ限られるから、最近のプロ野球観戦は、年に1度交流戦を神宮か千葉のQVCマリンのヤクルト戦を見に行くくらいしかしなくなった。しかし、かつて熱心なプロ野球ファンであり、今でも昔のことを思い出しながらこの日記で蘊蓄を垂れる身だから、年に一度の日本シリーズの、少なくとも第1戦はテレビで見ることにしている。最近はプレーボールからずっと、という具合には行かなくなっていて、昨夜も3回表にこの試合でブレーキになった日本ハム中田翔併殺打の場面からだったが。

試合の方は、日本シリーズ緒戦としては最高の試合というには遠かったが*1ホームチームの広島が終始ペースを握ったことによってスタンドは大いに盛り上がっていた。広島打線は「二刀流」大谷翔平に6回まで11三振を喫しながらも、ダブルスチールとソロ本塁打2本で3点を挙げ、守っては先発のジョンソンが、内野安打や四球などで走者を出しながらも要所で併殺打に仕留める技巧的な投球で日本ハム打線を7回途中まで1点に封じた。スタンドで観戦していた広島ファンにとっては最高の一戦だったに違いない。

しかし、どちらに肩入れするともなくテレビ観戦をしていた私には、実況を担当したTBSの中継に怒りを感じる試合だった。試合そのものよりもTBSが酷かったといえる。

読売系のスポーツ紙の記事であることが非常に引っかかるが、スポーツ報知がこれを批判していたので取り上げる。

http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161022-OHT1T50168.html

日本シリーズ】TBSアナの言い間違い実況に視聴者「ひどい」
2016年10月22日22時23分 スポーツ報知

 ◆SMBC日本シリーズ2016 広島―日本ハム(22日・マツダスタジアム

 日本シリーズ第1戦を生中継したTBSの初田啓介アナウンサー(46)の言い間違いに、視聴者によるネットでの“物言い”が相次いだ。

 1―0と広島が1点リードで迎えた4回。この回先頭の広島4番・松山が追加点となる1号ソロを放った瞬間、初田アナは「松山の同点ホームラン!」と絶叫。その後、5番・鈴木が三振で1死後、6番・エルドレッドもソロを決めた時「エルドレッドの二者連続ホームラン!」と実況した。

 さらに解説者として登場した今季で現役引退しDeNAのユニホームを脱いだ三浦大輔さん(42)を「横浜の元三浦投手」と紹介。SNSなどでは「ひどい」「何かやらかさないか気になってきた」「いい加減にしてほしい」などと批判の声が多数上がった。

「松山の同点ホームラン!」や「エルドレッドの二者連続ホームラン!」には私も、何言ってんだこいつ、と白けてしまった。
「横浜の元三浦投手」の場面は、中継を最初から見ていなかったので知らなかったが、そもそも私は「元DeNA」とテロップに表示されていることに引っかかった。なぜって、三浦大輔は確かに現役引退を表明したし、DeNAの投手コーチも退任するらしいことをネットで調べて知ったが、それでも現時点では横浜DeNAベイスターズに所属してるんじゃないのかよ、と思っていたのだった。それだけでも引っかかっていたところに、「横浜の元三浦投手」と言っていたとは、と呆れるばかりだ。実況したTBSのアナウンサー・初田啓介には「喝」を入れるほかない。というより、TBS全体に「喝」を入れるべきだろう。

そもそも、昔はカープ日本シリーズに出た時のTBSの実況中継はレギュラーシーズンと同様に中国放送RCC)が制作していたのではなかったか。そう思って調べてみるとやはりその通りで、たとえば実際に中継を見た試合として覚えている1984年の第1戦は、Wikipediaを参照すると中国放送が制作していた。実況はRCCの上野隆紘*2アナだった。1986年も同様で、のちにニッポン放送に移籍するものの当時はRCC所属だった深山計アナが第2戦を実況していた。ところが、1990年代に入って日本シリーズ中継の制作に東京キー局が出しゃばり始めたらしく、1991年の日本シリーズでは、「世界の松下」などとほざいていた、極端な読売びいきのために私が蛇蝎のごとく嫌っていた松下賢次が第3戦を実況していたらしい。この試合は、平日のデーゲームだったために見なかったから、そんなことになっていたとは全く知らなかった。92年から94年までと97年、98年は関東勢同士だったし、関東勢と関西勢が対戦した95年と96年にはキー局が在阪局の制作を奪うなどという乱暴狼藉を働いていなかったから、私がキー局の横暴に気づいたのはようやく1999年のことだった。実はこの年(ダイエー対中日)の第1戦の中継は見ていないのだが、それは丹沢で山歩きをしていて山小屋に泊まったからだった。但し、出かける前に日本シリーズの実況中継のアナウンサーが九州のアナではなく日テレのアナだったので、何じゃこれは、と思ったのだった。当時ネットで確認したところによると、ふだん読売戦の中継しかしていない日テレのアナは、読売の対戦相手である中日の選手や監督(あの忌まわしき星野仙一!)については多少の知識はあっても、ダイエーの選手については何も知らず、解説の長池徳士氏に教えてもらって感心しているていたらくだったという*3。私はこれを知って、さすがは日テレだけあってひどいなあと呆れていたが、TBSはそれに先立つ8年前に日テレと同じことをやっていたのだった*4

今回は、もはや惰性となって広島まで出しゃばったTBSの中継が大恥をかいた格好だ。広島だけではなく北海道でもTBSやテレビ朝日その他の東京キー局が恥知らずな中継をやらかすに違いなかろうが、来年以降は昔のように地元局の制作で日本シリーズを行ってもらいたい。

なお、昨夜の試合についていえば、久々に「雨と速球投手」について思い出させてくれた。これまでにも何度か書いたことがあるが、私は40年以上前、サトウハチローが「雨に散った江川投手」と歌ったの高校野球の試合を甲子園球場のスタンドで見ていたのだった。試合途中から降り出した雨が激しくなった延長12回、作新学院の江川は押し出し四球を与えて銚子商業に敗れた。この時の雨はあまりにひどかったので、観戦を続ける気が起きなくなってスタンドをあとにしたのだったが、球場から阪神甲子園駅までの短い道を歩いていた時、球場から「わーっ」という大きな歓声が聞こえてきて、ああ、試合が終わったんだろうなと思った。「わたしは雨を愛した詩人だ だがわたしは江川投手を愛する故に この日から雨がきらいになった わたしは雨をたたえる詩に別れて雨の詩はもう作らないとこころにきめた」と歌ったサトウハチローは、それから3か月も経たない1973年11月に死んだ。Wikipediaを参照すると、サトウは東京出身ながら少年時代に阪神電車沿線に住んでいたことがあり、それなのに読売でも阪神でもなく「中日ドラゴンズの熱烈なファンであり後援会の会長なども勤めた」という。サトウは1974年のドラゴンズ優勝を見ることもなく、また1978年の江川事件を知ることもなく逝った。前者は故人には不運だったが、後者は幸運だったかもしれない。中日といえば、1982年のペナントレース終盤戦の首位攻防戦で江川から9回裏に4点を挙げて同点に追いつき、延長10回にサヨナラ勝ちしてマジックを点灯させた試合があったが、その試合の勝利投手は当時のリリーフエースだった小松辰雄のはずだ。この小松がまた雨に弱い投手だった。前述のナゴヤ球場での天王山に先立つこと1か月、後楽園球場で行われた読売と中日との首位攻防戦では、リリーフに立って好調に読売打線を抑えていた小松が、雨が降り出すや調子を乱して読売打線に打ち込まれて、読売がカード3連勝を決めた。それで、そのあと江川が打ち込まれる試合の直前まで読売が優位に立っていたのだった。但し、江川が9回裏に打たれた試合では雨は降っていなかった*5

長々と脱線したが、大谷にも「雨」という泣き所があったというべきか。

但し、今朝の朝日新聞の記事を読んで気になったのは、雨の影響以外に、「メジャー仕様で硬めにつくってある」マツダスタジアムのマウンドが大投げにくかった、と大谷が言っていたらしいことだ。これは多くのメジャーの投手たちの言い分とは違う。彼らの多くが言うのは、たとえば甲子園球場のような柔らかいマウンドが苦手だということだ。堅いマウンドが苦手なら大谷はメジャーには行かない方が良いのではないか。メジャーで「二刀流」をやらせてもらうこともないだろうし。今や一流のピッチャーなら誰でも行きたがるメジャーではなく、国内で「二刀流」を極めることに挑戦することで前人未踏の道を切り開く道もあるのではないか、と思ったのだった。

*1:近年の日本シリーズ第1戦で一番面白かったのは2003年のダイエー阪神戦だった。ともに20勝を挙げた両チームの先発を打撃陣が打ち込んで逆転また逆転の接戦になり、ズレータのサヨナラ打でダイエーが勝った。しかしこの試合は例外であって、第1戦は一方のチームの一方的なペースになることが多い。昨夜もそうだった。

*2:「紘」の字が名前に入っていることから想像される通り、戦争中の1941年生まれ。Wikipediaによると、三重県出身で現在は千葉在住らしい。

*3:なおこの年のシリーズ前の予想は、圧倒的に中日有利というものだったが、ふだん読売戦の解説ばかりやっている解説者どもが「読売に勝って優勝した中日の方が強いに違いない」と決め込んでおり、それだけが中日有利の予想の根拠だった。当時のダイエー監督・王貞治は「うちの選手のことを知らないんだったら知らないと正直に言え」と激怒していたという。結局このシリーズはダイエーナゴヤドームで3連勝して4勝1敗で優勝した。

*4:なお、TBSよりもさらに早く、キー局の出しゃばりの先鞭をつけたのはフジテレビらしい。

*5:この年9月の江川は、中日戦の前の登板だった横浜スタジアムの試合で遠藤一彦と投げ合って負けるなど、やや調子を落としていた。おそらく肩に違和感があり、それが首位攻防戦の最後に集中打を浴びた原因だろうと私は推測している。但し当時は、「中日はコンピュータを使って江川の投球パターンを研究しており、その成果が首位攻防戦に表れた」などというまことしやかな解説がなされていた。そんな俗説は、当時も今も私は全く信用していない。中日が江川の投球パターンを研究していたのは事実だろうが、その成果がその試合の8回までには表れず、9回裏になって突如表れたなどという言説は全く信用ならない。当時のプロ野球には、まだ投手を消耗品として扱う風習が残っていたんだなあと今にして思うだけである。私は今も昔も江川卓は大嫌いだけれども、その点に関してだけは江川に同情する。