kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

成田知巳 の検索結果:

小川淳也の長所と短所 〜 総理大臣どころか衆院選での当選も微妙

…つての社会党委員長・成田知巳は高松市の出身であり、民主党のルーツの一つには社会党もあり、香川県は1974年から86年まで革新自治体であって社会党系がかなり強かったからだ。四国で共産党が強いといえばなんといっても高知県であり、同県では民主党系はいたって弱い。全国でも有数のめちゃくちゃな弱さだ。だから本来、野党共闘を共産党候補にするのには一番適していたのだが、徳島県と高知県が合区になってしまったために、かつて故仙谷由人がいて民主系が強かった徳島が譲らなかったのだ。この時は小川淳也…

「平井科技IT担当相は『黙れ、ばばあ!』で批判されたボン」(日刊ゲンダイ)

…社会党委員長を務めた成田知巳が高松市出身(旧制高松中学を経て東京帝大卒)だったりしたこともあって、四国4県の中では旧社会党の支持が比較的多かった土地柄ゆえ、極右的な紙面にすると売れ行きが落ちると計算してるんだろうと想像している。この点で香川県は共産党の強い高知県と好一対で、高知県では旧民主党は滅茶苦茶に弱かった。ところが一昨年の参院選では、民進党が四国では一番民進党が強いはずの香川選挙区で候補者を共産党に譲ったので少なからず驚いたが、これに骨を折ったのが小川淳也だったと聞く。…

玉木雄一郎と香川の民進党などなど

…党委員長を務めていた成田知巳が高松の出身だったこともある。そのせいもあってか、四国4県の中では今でも民主党(現民進党)がもっとも強い県で、四国の現在の衆議院議員は2人とも香川の選挙区の人間だ。そのうち香川1区の小川淳也はこのところ自民党の平井卓也に連敗して比例復活しているが、香川2区の玉木雄一郎は2005年の「郵政総選挙」に敗れて落選したあとは同選挙区で3連勝している。間違いなく四国の民進党ではもっとも選挙に強い国会議員である。だから今年の参院選で民進党が香川県の候補者擁立を…

佐野眞一『巨怪伝』を読み終えた

…と読み、当時社会党の成田知巳にこれを訂正されるという恥をかいた。この件は議事録に残っているとのことだ*10。朝日新聞の大熊由紀子元記者なら正力を鼻で笑うところだろう。ちなみに政界で原発の創始者というと中曽根康弘だが、中曽根は当初正力に接近したものの、のち得意の「風見鶏」ぶりを発揮して正力から離反した。この中曽根にも人がやったことを横取りする性癖があった。もっとも、そのせいで中曽根らが日本初の原子力予算2億3千5百万円(この金額は「ウラン235」にちなんだとされる)をとった時の…

現実を変えられない政党や政治家は無価値だ

…ったようだ。社会党の成田知巳元委員長についても、石川氏は下記のように書いている。 成田氏とはこの前後(注:1964年の社会党のソ連・東欧訪問)から、社会党委員長を辞める七七年ごろまで十数年に及ぶ期間、よく会い、よく話し、さし向かいで飲みもしたが、どうも印象に残るような会話は記憶に残っていない。常に「科学的社会主義者」として、商業新聞の記者などには心を許さないのだろうかと、ある時そのままの疑問を氏自身にぶつけてみたことがある。答えはほぼ肯定だった。「以前、昵懇だった記者に、酔っ…

社会党が衰退したわけ(石川真澄『人物戦後政治』より)

…ていましたけれども、成田知巳さんに会ったときに「日本社会党は福祉国家路線をとらないのです」と言われた。「じゃあ何をなさるんですか」と聞いたら、「社会主義です」と答えた。社会党のほとんどの人たちにとって、その精神的支柱はまさにこのようなものであったわけです。福祉国家論というのは、本当に困っている労働者階級を適当にごまかして、安心させて、革命から遠ざけるようなものにすぎないというテーゼをずっと守ってきた。 もしも八六年の社会党の転換というのが本物であったとするならば、いま実は実現…