kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

天皇制と共産党と山本太郎と

 下記ツイートからは、いやでも2人の人物の名前を思い出さずにはいられない。

 

 

 小選挙区制を推進した学者といえば山口二郎、同じく小選挙区制を推進した政治家といえば小沢一郎だ。

 山口二郎市民連合の中核をなしているようにしか見えないし、小沢一郎は小政党にいた時期が長かったが、紆余曲折を経て野党第一党である立憲民主党入りした。それ以前にも2003〜2012年には民主党にいたし、政界入りから1993年までは政権与党の自民党にいた。

 現在は木下ちがや(こたつぬこ)氏も「野党共闘に遠心力が働いている」と書くようになったが、人間社会に働く力によって必然的にこういう情勢に立ち至ったとみるほかない。「野党共闘原理主義」はもはや通用しない。

 私がずっと持っている意見は、多種多様な潜在能力を持っているはずの人間一人一人が適材適所で能力を発揮していけるような社会がもっとも望ましく、全体主義だの権威主義だのは前述の好ましい社会にとっては全く望ましいイズムだというものだ。

 残念ながら、世の中には自らの能力を世のために人のために活かすよりも、強力な指導者に身を委ねて楽をしたいと考える人たちが多い。そういう人たちが特定の指導者や団体の「信者」になる。その一方、自らが支配者あるいは権力者となって人々の上に君臨したいと考える、権力志向の強い人間も少数いる。あるいは、自らが王様になるのではなく、王様を思うがままに操縦して(=御輿を担いで)自らの野望を達成しようとする人間もいる。あれっ、また小沢一郎が出てきたぞ(笑)

 できるだけ多くの人たちが「個の確立」を目指すようになる、少なくともその流れがこの国ではっきり見られるようになる時くらいまでは生きていたいものだと思っているが、それを見るまで生きていられるかどうか微妙になってきた。というのは、歴史は決して前進一方で進むのではなく、しばしば停滞の時代や反動の時代、時には「崩壊の時代」(この言葉を用いるのは久しぶりかもしれない)があって、現在はそのいずれかの時期に該当すると思われるからだ。

 日本における権威主義を温存している代表的なものは天皇制だろう。

 三省堂書店の神保町店が建て替えのために閉店となる3日前に、同店で立花隆の『日本共産党の研究』(講談社文庫、全3巻)を買った。『文藝春秋』の1975年12月号から1977年12月号まで連載され、翌1978年に講談社から単行本発行、1983年に講談社文庫入りした。私は戦前の共産党については、共産党シンパの松本清張が書いた『昭和史発掘』(文春文庫, 全9巻)を既に図書館本で読んだが、立花本と同時に清張の『昭和史発掘』第3巻(「スパイ "M" の謀略」が収録された巻)も買った。こちらは『週刊文春』1964年7月6日号から1971年4月12日号まで連載され、単行本及び文庫本は立花の講談社とは違って文春から出ている。「スパイ "M" の謀略」は1966年に書かれており、それによるとスパイMの本名が飯塚盈延(1902-1965)であることは、戦前からの共産党員だった神山茂夫(1905-1974。戦後の1954年に一度共産党を除名され、その後1958年に復党したものの1964年に再度除名)が最初の除名の翌年に発行された『文藝春秋臨時増刊』1955年8月号で初めて明らかにされたという*1。しかし清張は飯塚の出身地を突き止めることには失敗している。飯塚は愛媛県出身だったが、清張は彼が新潟県身ではないかと推測していた。なお清張は最晩年に飯塚をモデルとした「『隠り人』日記抄」という短篇小説を書いていて、そこでは彼が愛媛県出身で晩年は北海道に隠棲していたことが書かれていたはずだ*2。立花本のスパイMの項はまだ読んでいない。

 共産党シンパだった清張に対して立花は共産党批判の立場から書いたから、1970年代後半に立花の著書は共産党から「特高史観」だとして厳しく批判された。

 共産党系と見られるこたつぬこ氏が西岡研介氏の下記ツイートをリツイートしているのを発見した。

 

 

 「日本共産党の研究」は「田中角栄研究」と「中核VS革マル」が並行して書かれたすぐあとに連載が開始された。現在の共産党系の人たちにとって立花本はいかなる位置づけがされているのだろうか。また、5月23日発売予定という中北浩爾『日本共産党』(中公新書)にはどんなことが書かれているのだろうか。興味津々だ。

 

 話がだいぶ逸れた。立花隆天皇制への言及を引用しようとしていたのだった。

 立花は『日本共産党の研究』で、「三つの天皇制」という文章を書いている。これは雑誌発表直後に共産党の理論誌『前衛』で厳しく批判されたもののようだ*3。以下、講談社文庫版から引用する。

 

 天皇制について語るとき、三つの天皇制を区別しなければならない。一つは、明治憲法下の政治制度としての天皇制である。政治権力が天皇天皇に直属した軍部と官僚に集中するという特殊な政治機構がそれである。

 第二は、ここで述べられている、民族の母斑のような歴史的国民意識における天皇制である。これは、最近、共産党が“天皇宗”と名づけ、「天皇宗には反対しない」と寛容な態度を示している対象である。

 第三は、日本人の精神構造における天皇制である。これは、丸山真男が「超国家主義の心理と論理」において犀利に分析してみせたもので、“内なる天皇制”といいかえてもよい。要するに、上の者にはあくまで従い、下の者にはあくまで従わせたがる、いまなお日本社会に普遍的な心情である。上の者に従うことによって、自由で主体的な判断を回避し、それを回避することによって、同時に責任を取ることも回避することができる(自由な主体性がなければ責任はない)から、社会全体を貫く無責任体制ができあがる。下の者をとことん従わせることによって、上の者から受けた抑圧感を発散させ、下へ下へと抑圧行為が拡大再生産されていく。つまり、上の者へのマゾヒズムが下の者へのサディズムに転化され、この両者のバランスによって日本人の精神構造はある種の安定が保たれているということだ。

 

立花隆日本共産党の研究(一)』(講談社文庫,1983)191-192頁)

 

 上記は、今から46年前の1976年に書かれた文章である。立花のいう「天皇制の第一の側面」は、その31年前、今から77年前の敗戦によって終わった。

 興味深いのは第二と第三の側面だ。「天皇宗」なんて言葉は見たことも聞いたこともないし、この言葉でネット検索をかけても何も出てこなかった。共産党がこのことばで表現したという「第二の天皇制」の「民族の母斑のような歴史的国民意識」は、「母斑」が相当薄れてきているように思われる。今のネトウヨの多くが天皇や皇族や天皇制を屁とも思っていないことは周知だ。むしろ、一時期「リベラル・左派」の間で前天皇(いわゆる「上皇」)や前皇后(同「上皇后」)を安倍晋三に対抗する人士として持ち上げた悪弊か、それとも「リベラル・左派」の人口構成比が年々高年齢化しているせいか、「リベラル・左派」層で「第二の側面」がそれなりに生き残っているように見える。ある時期、それは今世紀後半になるか来世紀以降になるかはわからないが、天皇制終焉の日が来るのではないかと予測される。残念ながらその日に立ち会うことはできそうにもないが。

 このように消滅への道を確実に歩んでいる「第二の天皇制」と対照的なのが「第三の天皇制」だ。この「内なる天皇制」は弱まるどころか逆に強まっているように見える。

 立花隆は(執筆時点までの)共産党と「第三の天皇制」を結びつけて論じている。以下引用する。

 

 この第三の天皇制と共産党とはどういう関係にあったのだろうか。民主集中制の説明のところですでに述べたように、この精神構造は共産党の組織の中でそっくりそのまま生かされていたし、いまも生きている。共産党があれだけ果敢に第一の天皇制と闘えた理由の一つは、ここに見出すことができるかもしれない。共産党がもう一つの天皇制組織だったということである。

 

立花隆日本共産党の研究(一)』(講談社,1983)194頁)

 

 共産党内では現在も民主集中制がとられてはいるけれども、民主集中制は党員ではない支持者やシンパにまでは及ばないから、支持者やシンパあるいは「信者」には様々な人たちがいる。

 まず民主集中制の支持者がいるのは当然だが、民主集中制の批判者もそれなりにいる。レーニンが唱えた民主集中制を批判したことで知られるトロツキーについて、日本共産党は正しく再評価すべきだと主張する人もいる*4。最近興味深いのはプーチンのロシアによるウクライナ侵略の件で、日本共産党は日本の政党の中でもっとも徹底したロシア批判を行っているとして私は評価している。しかし、これまで共産党の主張ややることなすことに大部分盲従し、一般人は誰も読まない理論月刊誌『前衛』にまで目を通してきたはずのさる「共産党『信者』」もしくは「共産趣味者」が、ことウクライナ戦争に対する共産党の姿勢に全く同調しないという珍妙な現象が観察される。当該の人士が頻繁にコメント*5idコールをしてくれるおかげで私はそれを知ることができるのだが、この人がもともと、北朝鮮を擁護したり、中国における少数民族弾圧を擁護したりするなど、それらに対する日本共産党の立場とは相容れない主張をこれまでにもしてきたことを私は知っており、なおかつこの人の心性を心底から軽蔑しているので、全く驚いていない。この人は過度にサディスティックな心性の持ち主なのだ。私がこの人から連想するのは、中国での侵略戦争日本兵が犯した残虐な戦争犯罪の数々である。

 一方、民主集中制を批判する共産党支持者は、私の知る限り例外なく、ウクライナ戦争においてロシアの侵略行為を一方的に批判している。つまり、民主集中制の束縛を受けることなく、自身の意見として大国の覇権主義は絶対に許さないという立場に立っているのである。こういう人たちの比率が増えていけば、共産党にも明るい展望が開ける日がくるかもしれないと私は考えている。むしろ現在の共産党執行部の方が、軽率に小沢一郎に説得されたりするなど、問題のある言動が少なくないのではなかろうか。

 現在、かつての共産党以上に立花隆のいう「第三の天皇制」を具現している政党がある。ほかならぬ元号を党名に冠したあの政党だ。教祖及び党への批判者に対する「信者」たちの態度は、「上の者へのマゾヒズムが下の者へのサディズムに転化される」あり方そのものだといえよう。

 

 最近立民支持を止めたらしい神子島慶洋氏が山本太郎「信者」を批判する下記ブログ記事を公開している。

 

ameblo.jp

 

 タイトルにも示されている山本太郎「信者」批判にはうなずけるが、下記の部分は私とは認識が異なる。

 

オザシンもそうだったが、個人的には山本氏本人よりも信者に問題があるように思われてならない。

 

出典:https://ameblo.jp/kagoyoshi/entry-12742142834.html

 

 これに対しては、そうではない、責任は上に行けば行くほど重い、と言いたい。

 小沢一郎の場合、利用できるものはなんでも利用するという哲学によって「信者」を利用していた。しかし、「利用した」小沢の責任は妄想を抱いた「信者」の責任より明らかに重い。それを「小沢本人よりもオザシンに問題がある」と言ってしまったら、小沢の罪一等を減じることになるばかりか、「信者」は集団であるために一人一人に責任を負わせようとしたところで、その結果は誰も責任を取らないこととイコールなので、「無責任体制」を追認することになってしまう。

 山本太郎の場合は、利用しようとしただけの小沢一郎とは対照的に、自ら「信者」たちを扇動していた(る)のだから、明らかに小沢よりも悪質だ。但し、政権交代まで果たしたかつての民主党と、今のところ国会に5議席しか持っておらず、参院選後には8議席程度に増えると思われるとは言ってもかつての民主党には到底及ばないので、教祖の悪質さと影響力を掛け算すると、民主党の代表及び幹事長を長年務めた小沢一郎の方がずっと責任が重いことになる。

 どちらの場合にしても信者よりも教祖の方が責任が重いことは明らかだが、それよりもさらに大きな問題は、丸山真男が指摘してそれを立花隆が引用した「内なる天皇制」だと私は確信する。

 1970年代の少年時代に、あれほど広く見られた(と思っていた)「民族の母斑のような歴史的国民意識における天皇制」の母斑がすっかり薄くなる一方、一頃よりも自由にものが言える空気が後退して、権威主義に身を任せる風潮が強まってきたように思われる現在、「内なる天皇制」こそこの国の人間にとって克服すべき対象の最たるものなのではないか。そのような考えを持つに至った今日この頃である。

*1:松本清張『昭和史発掘』(文春文庫新装版第3巻,2005)446頁。

*2:この短篇が収録された『草の径』(文春文庫)も図書館本で読んだだけなので、記憶に頼って書いた。

*3:論文の中身は把握していない。

*4:この件からいつも連想することだが、日本共産党はいい加減に伊藤律の名誉回復をすべきではないかと私は思っている。

*5:なお、当該の人士からのコメントは、ある時期以降は一切承認していないので、読者の目に触れる機会はない。当該の人士を宣伝する愚を避けるためである。

まことん氏のツイートより

 まことん氏のツイートより。

 

 

 そうなんですよねえ。

 「山本太郎と×××新選組」の問題点はそこに尽きると言っても過言ではないと思います。

 ああいうワンマンの組織は、野望を持った人間(山本太郎自身ではなく、山本を利用しようとする野心家)にとっては良いカモであって、独裁者に取り入ることさえできれば自らのやりたいことが簡単に実現できてしまいます。それでいて自身の存在はカリスマ指導者に隠れて目立たないどころか気付かれもしないわけだから実においしいものです。ある種の陰謀論者にとってはこれ以上ありがたいものはないでしょう。

 

 

 2003年に自由党と合流する前の民主党は、当時その危険性があまり認識されていなかった新自由主義に侵されまくっているという大きな欠点を持っていましたが、その一方で野田佳彦グループの名称が「百花斉放」からとられた「花斉会」だったことからも窺われる通り、言いたいことを言い合う気風がありました。それが大きく変わったのは2006〜09年の小沢一郎代表時代で、2008年には民主党代表選の実施を小沢が封じてしまいました。その独裁志向が反小沢側にも伝染してしまったのがその後の民主・民進系でしたね。もっとも菅直人が「(政権交代は)期限を区切った独裁だ」などと放言していましたから、反小沢の側にももともと権威主義の下地はあったとみなければなりませんが。総じて、2000年代以降の民主・民進系には、リベラリズムから権威主義への移行という大きな流れがあったといえるでしょう。

 弊ブログは立民発足前に「民進党信者」などと書いて、当時のカリスマツイッタラー(その後個人情報を暴かれて失脚してしまった人)から嫌がられたり、立民ができてからも「立民信者」とか「枝野信者」等の表現もしてきました。山本太郎と×××新選組は、その権威主義をさらに極端にした指導者であり政党であるというほかありません。

 

 

 これにも同感です。2017年に前原誠司が「希望の党」で高転びに転ぶまでは、前原のほか、細野豪志長島昭久馬淵澄夫民進党右派が党の主導権を握り、中間派(政治思想はゴリゴリに近い保守派)の岡田克也を追い落とすなどやりたい放題でしたが、この時代は下部(支持者たち)の意識と上部(国会議員たち)の言動が大きく乖離していました。その溜まりに溜まった歪みエネルギーが一気に解放された結果が、希望の党騒動と旧立憲民主党への突風ともいうべき激しい追い風でした。しかしそれもまた下部の志向(民主・民進系支持者の間では、未だに惰性力による新自由主義志向が強いと思われる)との上部と言動との乖離を招き、昨年の衆院選での立民敗北と枝野辞任によって、2017年の希望の党騒動以前には及ばないものの「かなりの逆風」が吹いているのが現状だと考えています。

 その間、民主・民進系で最近20年に大きな問題になりつつある権威主義への流れは変わっていません。旧立民で枝野幸男が「草の根」「ボトムアップ」等の言葉を口にしながらも、実際には枝野の個人商店みたいな性格の政党になってしまったことは見落とせません。

 

 

 大日本帝国の中国侵略について少しでも真面目に考えたことがある者であれば誰でも、ウクライナ侵略戦争を行っているロシアがかつての大日本帝国そっくりであるとわかるはずですけどねえ。どうしてあんな「DD論」が出てくるんだか、全く理解できません。党名に元号を冠する政党がDD論に侵されるのは必然だろうとは思いますけど。

 

 

 

 そう、山本太郎はれっきとした9条改憲論者なんですよね。

 私自身は天皇制を廃止すべきだと考えているので(天皇制を温存している限り、この記事で批判しているこの国の権威主義はなくならないと私は考えています)本当の護憲論者ではない、というより遠い将来には改憲すべきだと考えていますが、9条は変えるべきではないし、近い将来の改憲は反動的なものにしかなりようがないと確信しているため、「期限を区切った護憲論者」です。

 

 

 弊ブログは「野党共闘選挙制度の再改変(衆院選での小選挙区制の廃止)を長期目標としてそれまでの時限的なものと位置づけるべきだ」とずっと言い続けていますが、選挙制度の問題は衆院選の直後にしか議論されません。社会に働くもっとも強い力は惰性力だと持論の正しさを示す格好の見本だと考えています。1990年代の「政治改革」ほどその後の政治を悪くしたものはありません。その最大の責任者が小沢一郎でした。

×××新選組をめぐる状況が「山本太郎の求心力の低下」ではなく「遠心力の増大」だと考える理由

 昨日公開した記事の「はてなブックマーク」コメントより。

 

b.hatena.ne.jp

 

山本太郎の周りで急に遠心力が強まった - kojitakenの日記

求心力の低下を遠心力の増加と表現するのは最近アリなのか、もっと強めのニュアンスがあるのか

2022/05/11 20:19

b.hatena.ne.jp

 

山本太郎の周りで急に遠心力が強まった - kojitakenの日記

遠心力が強まるということは山本太郎が振り回していることを意味するので求心力の低下とは違うという理解でよい?

2022/05/11 20:55

b.hatena.ne.jp

 

山本太郎の周りで急に遠心力が強まった - kojitakenの日記

求心力低下⇔遠心力増加 の差異は、やはり能動的に振り回しているか否かでは。前者は氷の融解の如く徐々に遊離してくイメージだが、後者はブン回された挙げ句「こりゃたまらん」と勢い良く飛んで逃げるイメージ。

2022/05/11 22:01

b.hatena.ne.jp

 

山本太郎の周りで急に遠心力が強まった - kojitakenの日記

碌でもない人が離れて行ったということは良いように見えてくる件。

2022/05/11 23:32

b.hatena.ne.jp

 

 だいたい上記のコメントに尽きると思う。

 

 今回観測されている現象はかなり珍妙なものだ。

 最後に「碌でもない人が離れて行った」とのブコメがあり、これに特定の人士(さる×××の関係者)が1人で大量のスターをつけている。

 確かに、ろくでもない人たちが離れていったのだが、離れていった人たちはいずれも権威主義者であり、山本太郎に惹きつけられる力が本来きわめて強いはずの人たちだ。その彼らが離れていったのだから、山本太郎が「ジャイアントスイングをやっている」としか解釈できない。だから「急に遠心力が強まった」と書いた。

 まともな人たちが離れていく、つまり求心力が低下する段階は今から少し前にあった。×××がロシアのウクライナ侵略開始に対する国会の非難決議に反対した頃で、これはさすがに少なくない支持者の離反を招いた。それは下記ブコメに反映されている。

 

山本太郎の周りで急に遠心力が強まった - kojitakenの日記

ロシア寄りの言動が信頼失ったよなあ。。。陰謀論に引っかかりやすい体質をなんとか治してくれ。

2022/05/11 22:47

b.hatena.ne.jp

 

 こうしてまともな人たちが離れていき、ろくでもない人たちばかりが残りつつあるというのが、今回遠心力が働き始めた前段階としてあった。

 すると×××は、社民党参院選候補予定者を強奪するという傍若無人の行為をやらかすなどした。そのあげくに、残った「ろくでもない人たち」をも振り切るような何らかのアクションが集団の内部で行われつつあるのではないかとの仮説を私は持っているわけだ。

 最後には、「そして誰もいなくなった」結末が待ち構えているのではないかと予想する次第。

 なお、×××の大きな特徴として、ブレーンが誰かもはっきりしないことが挙げられる。斎藤まさしはとっくに離れてしまったのか今も強い影響力を持っているのか。植草一秀との関係はどうなのか。あるいは最近よく聞く伊勢崎賢治との関係は、などなど。かつては「日本経済復活の会」という極右民族主義兼反「グローバリズム」系の集団との関係が強かったようだが、現在ではサイトの更新が滞るなどしている。

 しかしこれらの背景は、カリスマ指導者・山本太郎の強い威光に隠れてしまっており、外部からは窺い知ることができない。不透明もいいところなのである。実際には山本に与える影響力が強い少数者による寡頭制で党(組)が運営されていると見られるが、これは反民主主義的であるとともに反リベラル的な党運営であると断じるほかない。

 現在のいわゆる「立憲野党」*1が×××に対してとるべき姿勢は、共闘参加の呼び掛けでも対決でもなく「相手にしない」ことに尽きるのではないか。昨年の衆院選での東京8区騒動を教訓にすべきだ。

 なお、前述の通り×××新選組の党運営が不透明であるためにその怪しさが十分知られていないことに加えて、人間社会にもっとも強く働く惰性力により、今夏の参院選ではまだ×××新選組に一定の得票力が残っていると思われる。参院選では比例2議席にどの選挙区から出るか不明の山本太郎(最後には比例に回るとの予測も一部でされている)が選挙区で当選すれば最大3議席獲得の可能性がある。しかし党(組)の中核部が空洞化しつつある現状を考えると、さらなる党勢(組勢)拡大の見通しは全くないとみるほかない。

 ウクライナ戦争に対する姿勢に加えて、かねてからの陰謀論体質がいっこうに改まらないためにまともな支持層が痩せ細り、現在詳細は不明だが山本太郎がトンデモ勢力を強い遠心力で振り払っていると推測される状況を考えると、そう遠くない将来に、かつて小沢一郎が得意とした「解党」劇が待ち構えていても不思議はないという気がする。

 そう、党(組)の解散に備えて、本来山本太郎に強烈に惹きつけられる性質を持った人たちを強引に振り払い始めているというのがもっともありそうな仮説だ。現在の私はこのように考えている。

*1:立憲の名を冠する立憲民主党のほか、共産党社民党をあわせて「立憲野党」と呼ばれることがある。この呼称が妥当か否かの議論は今回は行わない。

山本太郎の周りで急に遠心力が強まった

 最近どういうわけか、かつての小沢一郎一派や現在の山本太郎に親和的だった政治のプレーヤー(現職・元職の国会議員ら)たちの間に遠心力が働き始めたように見える。

 たとえば、極右政党とされる参政党という政党(最近まで知らなかった)になびく者が出てきた。この党の「参議院議員全国比例区支部長」*1には、かつてオザシンの間で人気を誇った極右の大学工学部元教授・武田邦彦が名を連ねている。その参政党に、昨年の衆院選で千葉9区から×××新選組公認で立候補して落選した三井義文が参加した。

 

 

 もっとも三井が参院選で同党から立候補するかどうかは知らない。立候補はしないのではないかとの噂もあるようだ。

 また、2019年の参院選比例区立憲民主党公認で当選したもののその後造反して消費税廃止で山本太郎とタッグを組むなどしたのち、新立民には参加せずに無所属の参院議員を務める元レスラー*2須藤元気は、参政党「ボードメンバー」の筆頭に表示されている神谷宗幣なる元自民党衆院選候補者(2012年に大阪13区から立候補して落選)と意気投合したことをツイッターで報告した。

 

 

 かつて共産党府中市議だったが一昨年の東京都知事選で山本太郎を応援した際に従軍慰安婦の歴史を否定する歴史修正主義のコメントを発して共産党を除籍された結城亮も、参政党に参加したという。

 

note.com

 

 さらに、2012年衆院選比例東京ブロック日本未来の党から立候補して落選した橋本久美は、なんとあの15年前にネトウヨの間で大人気だった維新政党・新風に所属している。

 

 

 維新政党・新風なんてまだ存在していたのかと、そちらの方に驚いた。

 なお、橋本は出発点ではみんなの党だったらしい。

 

 元×××の大西恒樹は三宅洋平とつるむようになった。

 

 

 なぜ急に山本太郎の周りで、これまでの求心力に代わって遠心力が働き始めたのかは不明だが、おそらく山本自身が純化路線を強めている影響だろう。

 鍵を握るのは今年の参院選での×××新選組の得票率だ。

 私は同組の党勢が今後上向くことはあり得ないと考えているが、組の崩壊が早いか遅いかの問題がある。組の崩壊は簡単だ。あれは山本太郎の独裁政党だから、山本が投げ出せば組は終わる。山本が投げ出さなければ、山本は権威主義者たちにとっては得難い存在なので、緩やかに党勢が縮小する程度にとどまるだろう。

*1:紛らわしい呼称だがいうまでもなく参院議員ではない。おそらく今夏の参院選候補予定者であろう。

*2:総合格闘家」を名乗っているようだ。

「ウクライナが独立主権国家として存在することを容認できないプーチン」(英ジェームズ・ニクシー氏)

 下記ツイートは、朝日新聞デジタルの有料記事の有料部分を同紙の駒木明義記者が引用したもののようだ。

 

 

 戦争相手が独立主権国家として存在することを容認できない覇権主義国家による一方的な侵略行為という「侵略−被侵略」の非対称を一切無視して「あらゆる戦争に反対する」と称する言説の無意味さは明らかだろう。

 彼らの立場に立てば、ベトナム戦争ベトナムアメリカと戦った戦争も「DD論」になってしまう。当時の日本の保守論壇ベトナム戦争を米ソの代理戦争とみなしてベトナムを非難していた。それと同じ愚を現在「DD論」を垂れ流す人たちがやらかしている。こんな人たちの一部が同時に「9条護憲」を言うとは信じ難い。侵略を非難できない「9条護憲論者」とはいったい何なのか。60〜70年代にベトナム反戦運動をしていた人たちに半世紀後のDD論者の主張を教えたらびっくり仰天するに違いない。

 

 こんな指摘もある。

 

 

 「戦争反対の宣伝は、それ自体戦争宣伝の一形態である」か。なるほどと思わずにはいられない。

ヤクルト、25年ぶりに東京ドームで読売を3タテ

 ヤクルトが9回表に読売の新守護神・大勢を打ち崩し、このカード3連戦3連勝を記録した。

 東京ドームの読売戦3タテは最近全然記憶になかったのだが、やはり1997年以来25年ぶりだったらしい。スポニチに出ていた。

 

news.yahoo.co.jp

 

 以下引用する。

 

 過去にヤクルトが敵地・東京ドームで巨人に3連勝したのは、ともに野村政権の92年5月1~3日、7月24~26日と97年6月3~5日、9月13~15日の4度。今回は25年ぶり5度目となった。過去4度の92年と97年はともにヤクルトがリーグ制覇を成し遂げた。まだシーズンの3分の1も消化していない状況ではあるが、データ上ではヤクルトのセ・リーグ優勝確率は100%となるがどうか。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/a267fbcc8d02dee0f99068e9bb2fd11f4a8c370c

 

 1992年は東京ドームで勝ち越したが神宮で負け越して対戦成績13勝13敗だった。1997年は19勝8敗で神宮でも東京ドームでも強かったが、読売主催の大阪ドーム吉井理人が読売ファンにレーザーポインターを照射される妨害を受けるなどして連敗した。

 1992年はヤクルト黄金時代の最初の年で、1997年は最後の年だった。1992年は9月に9連敗して苦しんだが、9連敗の9敗目が東京ドームでの9回逆転サヨナラ負けだった。しかし同じカードの2戦目と3戦目に勝って、阪神・読売との三つ巴の優勝争いに生き残ったのだった。この年は阪神と最後まで熾烈な優勝争いを演じた末に勝った。昨年と似ている。

 ああいう激戦に勝つことがチームを強くするには一番だ。翌1993年は読売に負け越したが前年優勝争いをした阪神をカモにした。それが阪神戦で苦しんだ2位・中日との争いを制する結果につながった*1

 今年はどうなるかわからないが、これまでの戦いぶりを見る限り、昨年の激戦を勝ち抜いたことが財産になっているように思われる。レギュラーシーズンもさることながら、日本シリーズの勝利も大きかった。1992年は日本シリーズに負けたとはいえ激戦だった。もっとも、オリックスはこれまでのところ思わぬ不成績だけれど。

 ここ20年くらいは東京ドームや甲子園では勝てる気が全くしなかったが、昨年後半あたりから久し振りに野村監督時代の感覚が戻ってきた。何も常勝チームになって欲しいとは思わないが、たまにはこういう時期があっても罰は当たるまいと思う今日この頃。

*1:中日との直接対決では今中と山本昌に計11連敗を喫して1勝もできず、トータルでも11勝15敗で負け越した。

兵頭正俊、ここまできたか(呆)

 兵頭正俊は既にオザシン時代にレイシスト化していたが、数年前には純粋な極右と認定できるレベルになった。そして今ではこんなツイートを発している。

 

 

 兵頭は現代国語の高校教師だったらしい。かつての教え子も呆れている。

 

 

 ここまできたか、と思うのは私だけではないだろう。