kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

落下傘候補・井戸正枝への投票を立民・共産・市民連合その他の「野党共闘」に強要されてしまった。まず落下傘候補擁立を当然視する風潮を改めよ!

 今年90歳のはずの本多勝一が若い頃だったら「落下傘候補への投票を強要される側の論理」とでも書いて、山本太郎、立民、共産をなで切りにするところだったのではないか。もっとも今世紀に入ってからの本多は小沢一郎と対談して意気投合するなどしていたので、本多が70歳代に戻っても無理だったかもしれない。

 もともとは阪神タイガースのファンながら、7月に矢野監督と井上ヘッドコーチがヤクルトの村上選手に吐いた暴言*1、今季だけはスワローズを応援してくださっている風来坊さんからいただいたコメントをいくつか紹介する。

 

 風来坊

共産は4区を重点区として立民に明け渡しを求めていて、それで15区とバーターしたんでしょうか。なぜ共産の方が強い東部を譲るのか訝しく思っていたのですが、4区は都議選で共産がトップ当選なんですね。維新が2位で立民の筆談ホステスさんが3位、自民4位公明5位ファースト6位でここまでが当選、自民は2人、ファーストも1人落選と、大田区は町工場が多いせいか特異な結果ですね。江東区も共産のベテラン畔上議員が3位当選、立民は6位落選と共産優位なので、古寺多見さんとしては納得いかないですよね。それに落下傘の井戸候補では裏切者柿沢議員には勝てないですかね。共産が譲るのであればどちらの選挙区も絶対勝ってもらわないと困りますけどね。

 

 東京4区大田区ですが、大田区は大きいので全部ではなく、高級住宅街として有名な田園調布などは東京3区を品川区の一部と共有したりしているようです。大田区江東区と同様町工場が多く*2、かつ両区には埋め立て地の帰属をめぐる「領土問題」を抱えています。江東区と杉並区の「ゴミ戦争」は過去の話ですが、領土問題は現在進行形です。私は江東区に来て、東京大空襲関東大震災、それに荒川放水路の建造などには関心を持つようになりましたが、領土問題についてはほとんど関心はありません。

 大田区のうち町工場が多い地域は、仰るように共産党公明党ともども強いと思いますが、衆院選では東京15区と東京4区は、ともにさほど共産党が得票している選挙区ではないようです。共産党東京4区の明け渡しを求めたというよりは、かつて民進党に属していた時期がある(衆議院議員としてはみんなの党が出発点でしたが都議時代にも民主党に属していた)柿沢未途が「裏切った」ため、柿沢に「刺客」を送りたかった立民が共産に15区の明け渡しを要求し、共産がそれに応じたと考える方がありそうな気がします。なお、大田区のうち町工場が多い地域は、江東区でいえば城東地区が対応すると思いますし、私には敵対心なんか全然なくてむしろ親近感を覚えるくらいです。むしろ、山本太郎の某組が先日決起集会をやった豊洲の方が、江東区からは浮いた地域であって、たまに行きますがあまり親しみを感じることができません。

 なお柿沢未途世襲議員なので、柿沢の票は決して立民や民民の票などではないことはいうまでもありません。落下傘候補でもある井戸正枝候補は、区民に浸透など全くしていませんから、柿沢に勝つのは至難の業でしょう。

 

 風来坊

野党共闘にはこういう問題があるんですよね、選挙民置き去りという。これで古寺多見さんは小選挙区の投票先がなくなってしまいました。私も野党一本化で選択肢をなくした経験があるので、お気持ちはよくわかります。野党共闘が1+1=2にはならない所以です。古寺多見さんがいつも仰っているように、1対1の構図を作り上げないと勝てないという小選挙区制度そのものにやはり問題がありますね。ただ自民党が自分たちに有利な制度を変えるはずもなく、立民も一兵卒が頑張っている以上選挙制度を変えることを提案することはないでしょう、残念ながら。中選挙区制度が良かったとは言いませんが、今よりは遥かにマシでした。本当はドイツ式が良いとは思いますが、中選挙区であればここまで政治が劣化することはなかったと思いますし、私は小選挙区断固反対だったので、本当に残念です。

 

 風来坊

追伸
私のところの野党統一候補も他の選挙区から出馬経験のある落下傘でした。出身も全く違う人で、評判も良くなかったので、かなりの抵抗感がありました。最終的には自民党を利するわけにはいかないと思い、鼻をつまんで投票しましたが、本当に苦痛でしたね。選挙くらいは入れたいと思う人に投票したいものです。一兵卒の罪状で最たるものは小選挙区制度の導入だと思います。政治ブローカーの田原総一朗も然り。万死に値しますね。

 

 まさに私も今回「小選挙区制の弊害」を身をもって経験したことになります。なお、中選挙区制は過去に問題を多く抱えていて、そこを小沢一郎らにつけこまれて小選挙区制を中心とした現行の小選挙区比例代表「並立制」の導入を現一兵卒の「剛腕」やら田原総一朗がテレビでギャーギャー騒いだせいで導入させられたのですから、た代替案は中選挙区制ではなく風来坊さんが仰るドイツ式、つまり小選挙区比例代表併用制など、当選者の総枠は比例代表で決め、個々の当選者は地域に応じた人とする制度であるべきだと私は考えます。

 なお、以前弊ブログで選挙制度の問題を取り上げた時、ずっと「併用制」の導入を主張していた社会党が小沢らに屈して「並立制」を容認した責任がある故土井たか子を強く批判したことがありますが、問題はそこではない、小選挙区と比例が半々だったはずの比率を3対2にしたのが悪かったとの反論をいただいたことがあります。しかしその意見は誤りだと私は今でも考えています。並立制と併用制は全く別の制度であって、前者は基本的に小選挙区制、後者は基本的に比例代表制なのです。ただ前者ではあまりにも第一党の議席数の割合が多くなりすぎるために、比例代表的要素を「加味した」に過ぎません。つまり、社会党が併用制の主張を取り下げて並立制を容認した時、同党はコペルニクス的転回をやってしまったわけです。当時の社会党委員長・山花貞夫*3は1999年に亡くなりましたが、小沢一郎田原総一朗、それに山口二郎らとともに歴史の厳しい審判を受けるべきでしょう。

 ところで、自民党内政局でも河村建夫が引退に追い込まれたそうです。

 

 suterakuso

山口からの情報(とはいえ全国版から)ですが、河村建夫が引退に追い込まれました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211014/k10013306511000.html

二階派の権力の失墜を象徴する出来事だといえるのでしょうね。そして、自民党員への、党内権力の流れを読んで、ひたすら媚びなければどうなるかという戒めにもなるのでしょう。別に河村もどうでもよいですが、林など、国情をよそ目にひたすら権力闘争に明け暮れて…しかし、本来、地盤を奪われた形で、争うべき安部には一切歯向かうこともなく…いたというのにですね。人でなしどもの政治ですね。

 

 結局、小選挙区制では党首が絶対的な権力を持ってしまいます。「リーダーではなくボス」のタイプの典型的な人間である小沢一郎が導入に強くこだわっただけのことはあるというべきでしょう。

 某組の山本太郎もまた、「リーダーではなくボス」の典型でしょう。ボスは部下の事情など意にも介しませんから、最初から東京8区の候補予定者は、いざ選挙になったら地方に飛ばすつもりでいました。そして立民と「密室談合政治」をやらかしたわけです。小選挙区制からはこんな政治家しか出てきません。

 今回の東京8区騒動で、私は持論だった小選挙区制批判をあえて封印し、今回ようやく記事にしているわけですが、それには意図がありました。

 その意図とは、小選挙区制の問題などわかり切っている、それよりまず第一になすべきことは、当事者たち、つまり山本太郎小沢一郎枝野幸男や立民の選対(平野博文)や都連(長妻昭手塚仁雄)らがどういうことをやったかの経緯を明らかにし、騒動の原因を突き止めるとともに再発防止策を講じることが最優先されるべきだということでした。

 そのプロセスをすっ飛ばして、いきなり小選挙区制の問題だけ指摘して、市民連合小選挙区制の廃止と比例代表制をベースにした選挙制度への移行を目標として掲げるべきだと主張しても、説得力など全くありません。現前の問題と、それについてあまりにも明らかな「山本太郎の責任」から目をそらせてはなりません。山本の経済思想上の同志でありながら、一貫して山本に苦言を呈し続けていた池戸万作を、心ある新選組*4の支持者は見習うべきでしょう。小選挙区制に対して批判的な意見を持っているならなおさらのことです。

 また、少なくともすぐには小選挙区制を廃止することなどできませんから、まず2005年の郵政総選挙で小泉純一郎が派手にやり始めてから蔓延した「刺客戦術」を止めることから始めるべきでしょう。

 山本太郎など、「どこの選挙区から立候補しようか」と物色していましたし、東京15区で柿沢未途自民党側へと寝返るや、立民支持層からは「立民は東京15区に刺客を当て、候補者を比例名簿で優遇すべきだ」などという、東京15区の選挙民の神経を逆撫でするツイートを発信し、それは現実になりました。私から見れば、東京8区の有権者に「鼻をつまんで山本太郎の名前を書いてほしい」と言ったとか言わなかったとかいう山本太郎と、「東京15区に刺客を送り込め」と呟いた立民支持層の人とは、同じ穴の狢にしか見えません。しかも前者はポシャりましたが後者は現実となり、私は立民や共産や市民連合に「井戸まさえの名前を書け」と強要されているわけです。

 私は柿沢未途を嫌うことにかけては人後に落ちませんから、投票日に井戸候補予定者の名前を結局書いてしまうかもしれません。しかし、比例ブロックでは立憲民主党共産党、某新選組には決して投票しません。もちろん自民や公明や維新や民民やN党その他にも投票しませんが。

 まず落下傘候補擁立を当然視する風潮を改めよ!

 そう強く訴える次第です。

*1:矢野監督と井上ヘッドの2人は中日入団時の監督が星野仙一だったから、星野の悪影響を受けたのに違いない。

*2:東京東部の地盤沈下は町工場が地下水を汲み上げすぎたためだとの説が有力のようだ。

*3:当記事の公開時、当時の社会党委員長を「土井たか子」と誤って書いてしまいました。誤記を訂正するとともに、余計な文章を削除しました。初歩的な誤りによって土井氏の名誉を傷つけてしまったことに遺憾の意を表します。

*4:正式な党名は弊ブログのNGワードを含むため、どうしても書けない。

衆院選東京15区は立民の井戸正枝が野党共闘の統一候補に。共産の小堤東は出馬予定取り下げ

 今朝(10/13)、出勤時に立民の井戸正枝のポスターが張られていて、発表は昨日だったがだいぶ前から準備してたんだなと思ったら、共産党から出馬を予定していた小堤東が立候補予定を取り止め、井戸正枝野党共闘の統一候補になることが決まったとのこと。

 

 

 なんで落下傘候補がいきなり「野党統一候補」になるんだろうか。立民の一兵卒あたりが「剛腕」を発揮でもしたんだろうか。

 江東区では立民ははっきり言って弱い。先の都議選の結果を見ても明らかだ。都議選では共産党の現職が楽々当選した。一方立民の新人は落選した自民党の2人目にも及ばない得票で惨敗した。その選挙区を立民に譲るとはどえらい出血サービスだ。

 東京15区には柿沢未途という少し前まで民主系だった現役衆院議員がいて、衆院選前に裏切って(というより本性を現して)自民党に寝返ったことをカミングアウトした。柿沢は今回はおそらく無所属で立候補し、当選した場合(その可能性というか恐れがきわめて高い)自民党入りを目指すと思われる。立民は、これまで柿沢に投票してきた人たちの票が計算できるとかなんとか交渉の席でアピールしたんだろうか。共産の小堤東は、上記ツイートにある通り比例に回るという。

 よくわからないが、井戸氏が野党共闘の統一候補になったとは言っても、ハイそうですかと投票したい気には相変わらずなれない。宮城県出身で、2003年以降はしばらく兵庫県の芦屋市や神戸市東灘区で活動していた時期がある井戸氏は、阪神間と神戸市にともに居住歴がある点が私と同じだが、だからといって親しみを感じるというわけでもない。

 落下傘候補がいきなり野党統一候補になったことには、釈然としないものが残る。

小川淳也の長所と短所 〜 総理大臣どころか衆院選での当選も微妙

 ついでだから以前有権者だった香川1区の小川淳也についても書いておこう。

 

 

 私は香川1区の有権者だったから、小川が民主党凌雲会所属でありながら、思想信条はボスの前原誠司とは相当違っていてハト派志向だったことは知っている。但しあくまでも保守政治家であり、いわゆるリベラルではないが。そもそも凌雲会の初期メンバーは仙谷由人(元社会党)、前原誠司枝野幸男であり、この3人の中でも前原誠司が突出した右翼新自由主義者だっただけの話だ。つまり前原の方が「変わった」人だった。そも前原も経済思想ではネオリベで安全保障政策ではタカ派だが、その他の点では「リベラル」なところもある。当時の民主党内でより右寄りのカラーが鮮明だったのは野田佳彦花斉会の方だろう。

 だから、私は小川淳也を主人公とする映画は見ていないけれども、2017年の希望の党騒動で思い悩み、見るからに立憲民主党に行きたがっている様子をニュースで見た時、彼はボスの前原誠司や同郷の玉木雄一郎らのしがらみで希望の党には行くのだろうけれど、いずれ立民に移ることは目に見えている、それなら最初から勇気を持って立民に行けば良いのにと思った。その後の彼の所属の変遷はあまりにも予想通りだった。要するに小川淳也もまた優柔不断な人なのだ。これは政治家としてはマイナスの資質だといえる。私は前々から枝野幸男にも優柔不断さを感じていたが(少し前にも書いた通り、枝野が旧立民の結党を決断するのも、理想的なタイミングよりも1日遅れた)、枝野の場合はまだリーダーには不適格というところまではいかない。しかし、小川の場合は明らかにリーダーに不適格だ。なぜ総理大臣になれないのかって、一番ダメなところは決断力に欠けるところだ。

 もちろん小川には長所もあって、一番高く評価して良いのは、2016年の参院選で香川選挙区を共産党に譲ったことだ。これは「野党共闘」を進めるならどこかの選挙区でやらなければならなかったことだが、一番最初に香川県で実現したことに私は驚いた。なぜならかつての社会党委員長・成田知巳高松市の出身であり、民主党のルーツの一つには社会党もあり、香川県は1974年から86年まで革新自治体であって社会党系がかなり強かったからだ。四国で共産党が強いといえばなんといっても高知県であり、同県では民主党系はいたって弱い。全国でも有数のめちゃくちゃな弱さだ。だから本来、野党共闘共産党候補にするのには一番適していたのだが、徳島県高知県が合区になってしまったために、かつて故仙谷由人がいて民主系が強かった徳島が譲らなかったのだ。この時は小川淳也も決断力を発揮したといえる。この時の小川の尽力は、どんなに高く評価しても過大評価になることはない。

 なお、2019年の参院選では徳島・高知選挙区が共産党候補が野党共闘候補になり、香川は民主系候補になった。これには、2016年に候補を立てた香川の共産党から強い不満が出たようだが、大局的に見れば当然の選択であり、前述の通り四国では高知県こそ共産党の地盤だ。2019年には徳島の民主系が我慢することになったが、どこかが降りなければ「野党共闘」は成立しない。私は2016年に香川県から共産党公認の野党統一候補が出たと知った時から、ああ、これは次の参院選では徳島・高知合区から共産党候補を出す話がついてるんだろうなと推測していた。というのは、四国で一番強い香川の旧社会党系を含む民主・民進系が、何の見返りもなしに共産党に選挙区を差し出すはずがないからである。そのあたりを含めて小川淳也が骨を折ったことは想像に難くない。軽率さとこういう大胆さを合わせ持っているのが、小川淳也という政治家の不思議な特徴だ。というより、軽率さと大胆さとは表裏一体なのだろう。

 以上書いたように小川淳也が「野党共闘」に汗をかいたからこそ、2017年の衆院選では希望の党所属でありながら共産党対立候補を立てなかった。これは香川の共産党の信義の厚さを感じさせるもので、私は大いに好感を持った。あの選挙では旧立民がブームだったから、小川が希望の党ではなく立民から立候補していたら、間違いなく小川は選挙区で平井卓也を破って当選していただろう。だが、「野党共闘」に汗をかいた政治家が維新にターゲットにされるのも、今の日本の政治に働く力学からすれば当然の動きだ。それに動揺してしまった小川が陰で圧力をかけるのではなく目立った動きで維新に泣きつき、普段はむしろ「寝た子を起こさない」編集方針で、紙面を見る限り共同通信の配信が多くてさして右寄りとも思われない四国新聞*1に狙われたのは迂闊というより、はっきり言って愚かだろう。地元のニュースだから、四国新聞にとっては「飛んで火に入る夏の虫」もいいところであって、小川のイメージを毀損することは平井卓也に大きなメリットになるから、四国新聞が書き立てたのは当然だ。そんな当たり前の計算もできないくらい冷静さを失うようでは、やはり総理大臣の器とは全くいえない。おそらく、維新の候補予定者が、同郷かつ高松高校(略称・高高=たかこう)の先輩で仲の良い玉木雄一郎の元秘書だったために動揺したのだろうが、そこで冷静さを取り戻して対策を講じる冷静さがリーダーには求められる。

 小川淳也は総理大臣どころか、比例復活を込みにした衆院選の当選すら盤石とは決していえない。玉木雄一郎が国民民主党所属というか党代表で、四国ブロックの比例票もかなり国民民主党に流れるだろうから、前回の旧立民のように風を受けていない立民が比例で1議席を確保できるかはかなり疑問なのだ。今までは玉木と同じ政党にいて、四国の民主・民進党候補としてはずっと玉木の次に強く、玉木は選挙区で楽々当選できるから、小川はそのおこぼれにあずかっていた。そうそう、2017年には玉木と同じ政党にいた方が比例復活の可能性が高いと計算して小川が希望の党を選んだ側面があったに違いない。四国比例ブロックは6議席しかなく、四国は大阪から近く、文化的にも関西の影響はそれなりに受けている*2ために、維新にもそれなりの勢力がある。非自民の比例票は立民、民民、維新の取り合いになるから、立民が間違いなく1議席を確保できるとは言い切れない。だから今回墓穴を掘ったことで小川は総理大臣どころか衆院選での当選も危うくなった。

 生方幸夫の件もあるし、何より山本太郎小沢一郎を主役とした密室政治を許してしまった東京8区のダメージは立民にとっては相当に大きかったはずだ。こんな記事を書いた私自身、立民や民進の候補に投票したことはあるが、それは音喜多駿(当選を許してしまった)や田中康夫(首尾良く落選に追い込めた)といった維新の候補を落選させるための「戦略的投票」に過ぎず、比例で立民に投票したことは一度もない。同党は旧党時代も現在も、明らかに過渡的な性格を持つ政党なので、思い入れはどうしても起きないのである。このように、もともと同党にかなり消極的な私は、今回の東京8区や同15区の動きは、立民からいよいよ心を離反させるものだった。衆院選での政権交代の可能性は相当低くなったと言わざるを得ない。三春充希氏の言う通り、政権交代の可能性は1%もなく、いわゆる「立憲野党」が3分の1の議席を確保できるかどうかの争いというのが実情だろうと思う。これには、立民の自滅というファクターがかなり大きい。枝野幸男の限界が明らかになってきたと思うが、後継候補は誰もいない。

*1:この新聞の最大の特徴は社説がないことだ。北國新聞のような極右紙を除いて、社説ではある程度自民党政府を批判するものだが、四国新聞は政治色を出すことを避けていると思われる。下手にかつての革新自治体の伝統を刺激すると平井卓也にダメージを与えるからである。

*2:ただ不幸中の幸いは、徳島県を除いて大阪の民放は視聴できないからその毒牙にはかかっていない。

立民、東京15区に井戸正枝を擁立。民主系得意の「落下傘候補」乱発にはほとほと嫌気がさす

 コメント欄で教えていただいて正式に知ったが、立憲民主党(立民)の井戸正枝氏がこれまで活動してきた東京4区ではなく東京15区に落下傘候補として立候補することが決まった。少し前から、東京4区の井戸氏が動くらしい、行き先は東京15区ではないかとの話は漏れ聞いていたから驚きはなかったが、やっぱり落下傘をやってきやがったか、という立民に対する失望は正直言って感じた。せめて東京15区を共産党単独にするくらいの度量は持っていただきたかった。

 本件を、井戸氏本人がツイートしている。

 

 

 山本太郎についてもさんざん批判したが、そもそも落下傘候補を気軽に連発したり、山本のようにそれをデフォルトにしたりすることは、立民幹部及び山本が2005年の郵政総選挙での小泉純一郎の流れを汲む「劇場型政治」への依存症に侵され切った政治家たちであることを示すものだ。

 山本に対してはもちろん、東京8区騒動でも山本と裏取引をしていたに違いない立民にも、ほとほと嫌気がさした。裏取引なんかやってないと言うんだったら、早いとこ騒動の経緯を包み隠さずオープンにしていただきたい。もちろん山本太郎も録音テープを早く公開すべきだ。今のままでは自民党の「密室政治」と何も変わらない。

 東京15区にやってくる井戸氏も大変だろうとは思うが、私はもちろん井戸氏には投票しない。

 ついでだから山本太郎も「杉並区から江東区に送られてきたゴミ」よろしく東京15区に立候補すれば良い。私は井戸氏にでも山本でもなく、粛々と共産党の小堤東(現時点では候補予定者)に投票するだけだ。おそらく3人がガチで対決すれば、得票数は小堤氏>山本>井戸氏の順番になろう。井戸氏と山本は、ともに落下傘候補のデメリットがあり、当地では民主党系の浸透が至って弱いためにともに得票は小堤氏に及ばないが、井戸氏と山本とでは知名度では山本の方が高い分、山本の方が多くなると考える次第。

 思えば初めて衆院選東京15区で投票した2012年にも、民主党から田中美絵子落下傘候補としてやってきたのだった。あの「森を伐採」し損ねた人だ。田中氏は小沢系と言われていたが、日本未来の党には移らずに民主党に残った。もちろん落選したが、未来の党で安全保障政策の責任者だった東祥三の得票だけは上回った。というより、東は柿沢未途・秋元司との三つ巴との前評判に反して、泡沫候補と思われた田中美絵子にも負けるという超悲惨な大敗を喫したのだった*1安倍晋三が総理大臣に返り咲くことが事実上決定した救いのない衆院選にあって、東*2を含む日本未来の党の惨敗はこの選挙で唯一良かったと思えることだった。

 しかし、今回の立民の井戸正枝擁立で、ああ、9年前に田中美絵子東祥三の刺客として送ってきた頃と、民主党系は全然変わってないんだなあと思う。同じことは、山本太郎は東京15区から立てば良いと言ってる人たちに対しても思う。私は歳をとってから当地にやってきた人間に過ぎないが、それでもどこの政党であれ落下傘候補は勘弁してほしいと思う。しかしかつての小泉純一郎一派にせよ立民・某組などの民主党系政党にせよ、将棋の駒を動かすように候補者を移動させるのだから、本当に人を大事にしない政治勢力なんだなあと思う。この点において、立民と山本一派には何の違いもない。そういえば、2012年衆院選で今は亡き三宅雪子小沢一郎*3によって刺客として野田佳彦の選挙区である千葉4区に送り込まれた時、間違いなく比例復活もできずに落選する選挙戦に臨む三宅氏が泣きそうな表情で第一声を上げた映像がニュースで流れた。それを見て、それまで激しく嫌っていた三宅氏に同情してしまったことを思い出す。三宅氏はその後、ツイートで元小沢系とは思えないまともな意見の発信をするようになったが、惜しくも一昨年の大晦日に自ら命を絶ってしまった。

 今回、あまりにも多くの「リベラル・左派」諸氏が「山本太郎は東京15区から立てば良い」とツイートしていた。中には「山本太郎が東京15区から立つならみんなが幸せになれる」と書いた人間までいた。私は彼らに対して、冗談じゃない、よそから突然落下傘候補を送り込まれる住民の身にもなってくれと言いたくなった。あまりにも頭に来たので、「リベラル・左派」の間で人気があると思われる人たちにもずいぶん毒づいてしまった。しかし彼らや立民・某組の党首や幹部たち、それに某一兵卒を含めて、選挙を、そして政治をゲームとしてしかとらえていない人間があまりにも多すぎるのではないか。

*1:今年のプロ野球セ・リーグにたとえると、阪神やヤクルトと優勝を争っていたはずの読売が広島に抜かれて4位に落ちるようなものだ。読売も本当に4位に落ちればいいのに。

*2:この東祥三に対して、今度の共産党候補が小堤東であるのが「東」つながりで面白い。

*3:この小沢も血も涙もない人間だ。

生方幸夫の立民千葉県連会長辞任・公認辞退は過剰反応ではないか。拉致問題の「タブー化」に手を貸す枝野幸男や志位和夫は、12年前に江川紹子が書いたコラムをよく読むべきだ

 山本太郎の一件もそうだったが、このところ立憲民主党(立民)の国会議員たちが浮き足立っている。たとえば小川淳也が香川1区の維新の候補予定者に、出馬するなと直接維新の集会にまで出掛けて談判して、平井卓也一族が出している地元紙に書き立てられたという。映画にまで出て名前(だけ)は知られてきた小川氏が、大臣を留任できなかった平井(自民党の政治家としては決して選挙に強い部類ではない)を相手に何をびびっているのかと思う。また、生方幸夫(千葉6区)が北朝鮮拉致被害者で生きている人はいないと発言し、所属する立民の枝野幸男に「激怒」しているとコメントされたうえ、共産党委員会の志位和夫からも批判された。生方氏は立民の千葉県連会長を辞職した上、千葉6区の立民公認も辞退することになった。2人とも、選挙の情勢を自分から悪化させたようなものだ。

 私は、小川淳也に対しては、なんて軽率な人なんだと思うだけだ。13年前の8月31日、これは福田康夫が総理大臣職の辞意を表明する前日だったが、反貧困キャラバンが高松市に来た時に小川氏の挨拶を聞いて、「熱血っぽいけど上滑りしているところがあるな」と感じた印象が今も変わっていない。小川氏ならああいうやらなくても良い、というかやったら自分で自分の首を絞めることをやりかねないなとも思う。

 一方、生方氏については、発言の反作用を計算せずにああいうことを言ってしまったこと自体は軽率ではあるが、発言に対する枝野や志位のコメントは過剰反応だと思う。

 思い出したのは、12年前の2009年に田原総一朗が「朝まで生テレビ」で横田めぐみ氏を含む拉致被害者8人は死んでいると発言したことだ。この時にも田原は猛烈に批判されたが、当時江川紹子が田原批判一色になって拉致問題を「タブー化」することを批判する記事をネットで発信した。当時から私は江川氏の意見に大いに共感したが、昨年(2020年)6月6日に公開した横田滋氏の訃報記事で、江川氏の2009年の当該コラムを引用したことがある。下記にリンクを示す。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 江川氏の記事にもリンクを張っておく。

 

www.egawashoko.com

 

 昨年6月の記事では江川氏のコラムから長々と引用したが、今回はポイントの部分のみ以下に引用する。それでも結構な長文になる。

 

(前略)人の生死に関わる問題に報道が慎重になるのは当然だ。しかし、外交に重大な影響を及ぼす事実や政府の判断について検証するのは、メディアの重要な役割のはずだ。なのに日本のメディアがその役割を果たさずにいる状況について、ニューヨーク・タイムズ紙東京支局長のノリミツ・オオニシ記者は同紙の系列紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙2005年6月2日付で、次のように伝えている。
 
<半年前、日本政府が北朝鮮はわざと偽の遺骨を引き渡したと発表した時に、日本国民の北朝鮮に対する怒りは沸点に達した。日本政府が真相を包み隠さず述べているかどうか疑問が浮かんでいるのに、日本政府はこの問題をきちんと説明してこなかった。それどころか、ナショナリズムが日本社会で高揚していく中、政府の北朝鮮に対する政策について疑問を呈することもタブーとなってきており、日本のメディアはほとんどこの問題を無視している>

 横田さん夫妻への同情や共感、北朝鮮への不信と怒りが渾然一体となって、「遺骨」が本物である可能性を論じることが憚られる雰囲気が日本中を覆っている。政治家もメディアも、こうした「世論」を気にして、鑑定に問題がある可能性を議論することもできないし、「遺骨」が本物である事態にした対策を話し合うこともできないでいる。
 感情が理性を凌駕し、拉致問題はタブーと化している。被害者家族の意向に反する報道や議論ができにくく、人々は冷静な判断をする材料を得られない。メディアも政治家も、被害者家族をおもんぱかって慎重になっているというより、「世論」(=視聴率や支持率)の反発を恐れて、報じるべきこと、やるべきことから逃げてはいないだろうか。特にメディアの場合、被害者家族は取材対象でもあるから、関係を悪くして取材拒否にあいたくない、という気持ちもあるだろう。その結果、家族の意向に沿う報道だけしか報じられなくなり、「世論」をますます特定の方向に導く悪循環に陥っているような気がする。
 外務省を「だらしない」と叱咤するなら、その言葉は、政治家やメディアにも向けられなければならない。
 しかも、5人の生存者の帰国やその家族を取り戻すのに尽力した外交官は、むしろ「売国奴」だの「北朝鮮のスパイ」だの「土下座外交の戦犯」だのと激しいバッシングを受け、挙げ句に自宅に爆弾を仕掛けられた。しかも、暴力を非難するより、石原都知事などのように、「爆弾を仕掛けられて当たり前」と発言まで飛び出す始末。こうした暴言は、厳しく諫められずに垂れ流され、新たな外務省批判の材料になった。
 外務省の肩を持つ気はさらさらないし、こういう反発の中でも、国益を考えて果敢に行動してこそ、真の外交官なのだろう。
 けれども、彼らを「だらしない」と叩く資格が、メディアの人間にあるのかな、という気はする。
 
 先日、以前拉致被害者の家族会で事務局長を務めていた蓮池透さんに話を伺う機会があった。その際、蓮池さんはこう語っていた。
日本がこういう世相だと、北朝鮮は本当のことを語らないのではないか。万が一亡くなっている人がいても、それを言えば、『また嘘をついている』と決めつけられるのなら、言わないだろう。それでは、いつまで経っても今の状況は変わらない。交渉で、相手に真実を語らせる努力をしていかなければならない。真実であれば、あらゆることを日本は受け入れるという状況にしなければ、事態はなかなか前進しない
 本当にその通りだと思う。
 
 だからこそ、メディアや外交官や政治家たちの中で、「家族会の意向の反することはやめておいた方が無難だ」という風潮が、これまで以上に広まっていくことを心配する。今回の提訴をきっかけに、事なかれ主義がさらに蔓延していけば、拉致問題のタブー化は進み、北朝鮮に真実を語らせる日はいよいよ遠のいてしまう
 少なくともメディアに関しては、被害者や家族への配慮は必要だが、何よりも、多様な言論や様々な角度からのレポートによって、真実に近づく努力をしていくことが、最大の使命であることを、私自身もしっかりと自覚したい。

 

(「Egawa Shoko Journal」2009年7月16日付記事「タブー化する拉致問題田原総一朗氏への提訴」より)

 

出典:http://www.egawashoko.com/c006/000296.html

 

 12年前に江川氏は「事なかれ主義がさらに蔓延していけば、拉致問題のタブー化は進み、北朝鮮に真実を語らせる日はいよいよ遠のいてしまう」と書いた。

 今回、自民党ではなく「野党共闘」の二大政党である立憲民主党共産党の党首が、口を揃えて生方幸夫を非難した。Twitterの反応を見ても、立民支持層も反自公系の無党派層も、実例は確認していないもののおそらく志位発言のお墨付きを得た共産支持層も、ほとんどの人間が生方氏を一方的に非難しているだけに違いない。

 それで良いのだろうか。

 枝野も志位も、立民支持層も共産支持層も反自公系の無党派層も、皆が皆同じ立場に立って生方氏を非難し、拉致問題の「タブー化」に加担している。

 江川紹子氏は周囲に阿らずに自分の意見をどんどん主張する人で、その中にはコロナ対策より「経済を回す」方が大事ではないかとの意見を第1波減衰期に発信したために、弊ブログが「江川紹子の害毒」と評したこともある。しかし、間違いは誰にでもある。コロナ問題で「経済を回せ」という意見は、反自公政権側では少数派だったが、江川氏は意に介さなかった。第3〜5波で菅義偉政権がコロナよりGoToキャンペーンや東京五輪を優先させて失敗したことから明らかな通り、江川氏の主張は誤りだったと思うが、それとは別に、周囲の意見にとらわれることなく自分の意見を発信する氏の姿勢そのものは高く評価できる。ただ、私は新型コロナに関する氏の主張が間違っていると思ったから「害毒」と表現したまでだ。しかし、言論人としての氏は、同調圧力に容易には屈さないという、言論人にはもっとも必要な資質を備えている。この点は高く評価できる。

 そんな江川氏に引き比べて、枝野幸男志位和夫はなんと不甲斐ないことか。私が思うに、生方幸夫の立民千葉県連会長辞任や衆院選での公認辞退は、どう考えても過剰反応だ。拉致問題の「タブー化」に加担した上、衆院選でも情勢を自らが率いる政党や「野党共闘」に不利な方向へと導く枝野(や志位)が正しいとは、私には全く思えない。

東京8区騒動の元凶は、どうみても「立民党内のアンタッチャブル」小沢一郎だ

 今回の「東京8区騒動」における立憲民主党のガバナンスから思い出したのは、前世紀末に私が属していた組織のことだ。

 その組織には、アンタッチャブルの領域があった。私の直接の上司(課長級)は10人弱の部下を抱えていたが、うち1人に対する制御が効かなかったのだ。上司より年上のその社員は、事実上上司の上司(部長級)の直属のようなものだったが、組織図上は上司の部下であった。そのアンタッチャブルの社員は直接の上司との折り合いは全く悪く、平然と上司の批判までしていた。社内のネットニュースでは(仕事とは直接関係のない話だったが)2人が公然と批判の応酬までしていたのだった。上司を介さずに起こしたそのベテラン社員の不手際を上司が他部署の人から批判された時、上司が「そんなこと言われたって××さんはアンタッチャブルなんだから」とぼやいたことを覚えている。

 立憲民主党の「一兵卒」小沢一郎は、枝野幸男にとってアンタッチャブルの部下であるに違いない。ただ奇妙なのは、枝野は立憲民主党の党首(代表)であって、その上には誰もいないはずなのに、なぜ小沢一郎を制御できないのかということだ。これはもちろん小沢が徒党を組んでいるからであって、小沢を担ぐ人間の中には、枝野らの悪口を小沢に吹き込んで、両者の溝をますます深めようとする輩もいるのではないか。結局、小沢が組んでいる徒党がある程度の規模を持っているから、小沢が一定程度好き勝手に動くことができる。

 衆院選の選挙区では、大阪12区の候補予定者になる支部長に極右の宇都宮優子が就いているが、これは明らかに「小沢枠」であろう。岡山5区のはたともこもそうかもしれない。もっともはたは「生活の党」を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改称させることを小沢にのませたやり手らしく、その後三宅洋平を応援すべきかどうかをめぐって山本太郎と喧嘩別れして立民入りした人物らしいから、小沢や山本が統御しきれる人物というわけでもなさそうだが。とはいえ、それでもはたは立民の本流ではなく「小沢系」とみて良いだろう。

 その小沢が衆院選の候補の割り当てにかなりの程度介入する権限を持っているらしいことが、今回の騒動で浮き彫りになった最大のポイントだ。大阪12区なら選挙区当選はおろか比例復活も絶対にあり得ないから、枝野としても「ガス抜きとして認めてやっても良い」程度にみていたのだろう。また岡山5区にしても倉敷市の一部を含むとはいえそれは「平成の大合併」で倉敷市編入された地域であって、全体としては岡山県の中でも田舎の地域であって、自民党が非常に強くはたの当然も宇都宮優子同様、絶対にあり得ない。大阪12区も岡山5区も、立民にとっては「捨てゲーム」の選挙区だ。

 しかし東京8区はそうはいかない。岡田晴美候補予定者と地元の支持者たちのつながりが深いことは、今回山本太郎野党統一候補に擁立する動きに対して激しい反発が出て、デモが起きて朝日新聞デジタルに報じられるほどになった。過去の衆院選でも、岡田候補予定者(2017年)は山本(2012年)よりもずっと惜敗率が高かった。そんな東京8区で山本を野党統一候補にすることは、山本の経済思想上の同志である池戸万作によると、強い候補を下げて弱い候補を立てることにほかならず、立民にとっても「野党共闘」全体にとってもマイナスになる。つまり普通であれば山本の擁立劇など起きるはずがなかった。

 しかしそれが未遂には終わったが一度は起きた。これはやはり、枝野にとって小沢がアンタッチャブルであり、小沢の影響力を排除できなかったためだろう。

 なぜ小沢にそんな強い権力があるかというと、それは小沢が共産党とのパイプを持っているからだ。枝野と志位和夫とのパイプは小沢と志位のそれと比べて細い。それでも現在の立民と共産を軸とした「野党共闘」が機能しているのは、もともと2015年に共産党が「国民連合政府」を言い出した時、当時の「生活の党と山本太郎となかまたち」の代表だった小沢一郎が共産と民主系とをつなぐパイプ役になったからにほかならない。いや、形の上では共産党が「国民連合政府」を言い出したのかもしれないが、実際の発案者は小沢だったのかもしれない。2006年に小沢が民主党代表に就任した当時も「野党共闘」の構想があり、当初共産党も対象に含まれるはずだったが、小沢と共産党では政治的立場が違いすぎて共闘は成立せず、共産党は「たしかな野党」を標榜していた。

 しかし2009〜12年の民主党政権時代、小沢対反小沢の構想が東日本大震災や東電原発事故への対応そっちのけで行われたため、国民の激しい怒りと反発を買って民主党政権が瓦解し、その反動として「安倍一強」時代に入ってしまった。野党がすっかり劣勢になってしまったために、小沢が再度呼びかけた「野党共闘」に共産党が乗っかったのかもしれない。つまり形の上では共産党主導だったが、実は小沢主導だったという可能性もある、というよりその可能性がかなり高いと私はみている。

 だから立民と共産との候補者調整にも、小沢の手腕が欠かせない。立民の党内についていえば、小沢が共産党候補に降りてもらって枝野に得をさせる見返りを要求するのは当然だろう。大阪12区や岡山5区については、立民が議席を得られる可能性はこれっぽっちもないから、小沢に見返りを与えても枝野の懐は痛まない。しかし東京8区ではそうはいかない。現に立民が岡田晴美候補予定者を下ろそうとしたら(そう言い切ってしまっても良いだろう)、地元から激しい反発を受けた。

 池戸万作は「立民は東京8区をプロテクトしなかった」と書いたが、たとえば東京5区(手塚仁雄)や東京7区(長妻昭)は絶対に他党に譲らない選挙区として「プロテクト」するが、東京8区はプロテクトしない、みたいなプロ野球選手のFAによる移籍に伴う人的補償に対するプロテクトを思わせる話が本当にあったかどうか、私は知らない。

 巷間、東京5区や7区に某組から候補予定者を立てられている長妻が、彼らに降りてもらうためにその見返りとして東京8区を某組に差し出した、つまり悪いのは長妻や手塚だという説もある。しかし、私の見るところ説得力は乏しい。某組は東京8区の山本を除いて、某組がベタ降りするという取引だったとの説もあるが、これには某組の候補予定者のうち本気で戦おうとしている候補者からの激しい反発が必至だ。たとえば東京22区の櫛渕万里は絶対降りないと言っているらしい。つまり仮に山本が取引でそれを持ち出したとしても、長妻や手塚が「はい、わかりました」とばかり了承するとは全く考えられない。もっとも、過去に民進党が東京6区をあっさり維新の党の江田憲司に差し出した経緯もあるから(現在も江田系の落合貴之が東京6区選出議員になっている)、立民の交渉能力にも問題があるかもしれない。とはいえ、東京8区を簡単に某組に差し出したはずまではなかろうと思う。山本太郎が交渉の様子を録音したテープを持っていて、それを公開するぞとの脅しをかけているそうだが、それはせいぜい長妻や手塚が「お話はわかりました。持ち帰って検討します」と言った程度の話だろう。かりに左記の発言があったとして、「お話はわかりました」の箇所だけ公開すれば、それを立民の都連が某組の要求を受け入れたと強弁する理由になり得る。その程度の話に違いない。

 手塚や長妻の権限では、東京8区を某組に差し出す取り引きなど成立するはずがなかった。そこには、もっと強い権限を持った「剛腕」の持ち主の関与を仮定しなければ、今回の「東京8区騒動」は読み解けないのではないか。そう考える次第だ。

 なお、少し前にブログ『日本がアブナイ!』が今回の衆院選で立民の選対を務めている平野博文に対する懸念を表明していた記事があったので、以下に紹介する。弊ブログがこのブログの記事を肯定的に引用するのはずいぶん久し振りだ。少なくとも2013年以降には記憶がない。

 

mewrun7.exblog.jp

 

 以下引用する。

 

 先週、立民党に関して、mew的にはちょっとイヤ~な感じがするニュースが出ていた。^^;

 

 平野博文選対委員長が、24日、小沢一郎氏に選挙対策への協力を要請したというのだ。(@@) 

 

 以前から書いているように「もう小沢氏はあまりオモテに出て来ない方がいい」と考えているmewは、このニュースを見て、「え~~~?枝野くんもOKしてることなの?」と疑問に思ってたら、どうも枝野代表は「報告は受けていない」と不快感を示していたとのこと。

 

 立民党にとって、ここか大事な時期を迎えるだけに、小沢氏&平野氏の今後の言動のよくない方向につながらないといいな~と懸念し始めているmewなのである。_(。。)_

 

(「日本がアブナイ!」 2021年9月26日)

 

出典:https://mewrun7.exblog.jp/29673654/

 

 ここで同ブログは、昨日弊ブログでもご紹介した読売新聞の9/24と9/26の記事を引用しているが、ここではリンクのみ再掲する。

 

www.yomiuri.co.jp

 

www.yomiuri.co.jp

 

 さすがに長年民主党系を応援し続けてきた上、その来歴は菅直人やその系列のごひいきで、民由合流時には小沢一郎を警戒していた*1というブログ主だけのことはあって、このあたりのアンテナの張り具合はたいしたものだ。「野党共闘」界隈は共産党系から来た人が多いので、このブログをチェックしておられる方はほとんどいないのではないかと思うが。

 「日本がアブナイ!」からの引用を続ける。

 

 枝野代表は、党運営、とりわけ選挙で豪腕を発揮したがる小沢氏と少し距離を置いて、オモテに出さないようにしているところがあった。^^;

 小沢氏がオモテ立って自分の考えを主張したり、動いたりすると、党内で小沢氏に対する反発が起きて、また亀裂が生じてしまうのを警戒したからではないかと察する。_(。。)_<菅ー枝野内閣を潰そうとした人だしね~。^^;>

 

 実は、小沢氏は地元岩手で、もうトラブルを起こしているのである。(~_~;)

 

出典:https://mewrun7.exblog.jp/29673654/

 

 このあと、周知の岩手1区で、小沢がかつての手下・階猛と確執を繰り広げている件に言及しているが引用は省略する。興味のおありの方は直接リンク先を参照されたい。以下が平野博文に関する核心部だ。

 

 そもそもmewは、平野博文氏を選対委員長という重要な役職につけたこと自体、あまり望ましく思っていなかったのだ。(-_-;)

 確かに平野氏は、鳩山由紀夫氏の側近&小沢Gのパイプ役、戦略家として民主党政権交代実現の際にはいい働きをした上、鳩山政権では内閣官房長官を務めていたし。元民主党、国民党の議員には顔もきくので、選対委員長には適任の部分も大きいかも知れないのだが。

 

 ただ、実はこの人は、民主党が大きな対立を起こし、分裂するきっかけを作った立役者でもあるのだ。^^;

 10年6月に鳩山首相小沢幹事長が退任し、菅直人氏が首相になった際、当初は鳩山氏も小沢氏も菅首相を支持すると明言していたのである。

 しかし、平野氏が、自分他たちの側にもう一度権力を取り戻したいがために、小沢氏と鳩山氏を炊きつけて、小沢氏の総裁選出馬を画策。そこから民主党内で大きな対立が表面化し、エスカレートしたのである。(-_-;)<小沢氏は自民党と組んで「菅おろし」の内閣不信任案を出そうとしたりとかね。^^;>

 

『7月の第22回参議院議員通常選挙参院の与党の議席数が過半数を割り込む大敗を喫したため、徐々に菅直人首相ら執行部への批判を強め、9月の民主党代表選挙への小沢一郎の擁立を画策。報道によれば、当初は菅の再選を支持していた鳩山を小沢支持に翻意させるための鳩山・小沢の会談をセッティングし、鳩山の支持も取り付けたが、小沢は菅に敗れた。wikipediaより』

 

 菅政権に対する評価は人それぞれ違うだろうけど。ただ、mewは今でも「もしあの時、小沢氏が出馬などせず、少しおとなしくして形だけでも党内融和の姿勢を示してくれていれば、もう少し違う展開になっただろうし、今ほど民主党政権への印象は悪化しなかったかも知れない」と考えている。(-_-;)

 

 そして、そのことを考えると尚更、小沢氏がオモテに出て(しかも平野氏と組んで)動くのは、立民党にとって好ましくないように思うし。枝野代表や福山幹事長は、2人に妙な遠慮をせず、抑えるところはビシッと抑えて行かないと、立民党に対する支持、期待は上がらないのではないかと思うmewなのだった。(@_@。

 

(「日本がアブナイ!」 2021年9月26日)

 

出典:https://mewrun7.exblog.jp/29673654/

 

 このブログ記事を最初に読んだ時、この記事は小沢一郎鳩山由紀夫が責められるべき問題の責任を平野博文に押しつけてるだけなんじゃないかと思った。

 しかし、こうして「東京8区騒動」があわや大火になるかと思われる、「ヒヤリ・ハット」どころか少なくとも「軽微な災害・事故」にまで立ち至った経緯には、選対の平野博文が火に油を注いだ部分があったのではないか。平野と小沢の名前が出てきた上、直接の選対の責任者が平野だったことを考えると、この点でも「日本がアブナイ!」は立憲民主党をよく見ていたのではないかと思い直した。つまり、ブログ主の慧眼を見直したのだ。やはり「餅は餅屋」なのかもしれない。

 同ブログは、今朝の記事のタイトルにも小沢の関与をタイトルに掲げている。

 

mewrun7.exblog.jp

 

 以下引用する。なお、引用文中の冒頭にある、「これまでぐらい的に名前が出ているのは、小沢一郎氏だけだ」という指摘は、神子島慶洋氏も指摘していた。朝日新聞デジタルの南彰記者が東京8区騒動の記事を書いたことは大いに有意義だったと思うが、一点どうしてもいただけないのは、朝日は前回の「希望の党」騒動の報道に引き続いて、小沢の名前を全然出さないことだ。あたかも「小沢隠し」をしているかのように私には見える。

 

 ちなみに、山本氏と立民側の協議について、これまで具体的に名前が出ているのは、小沢一郎氏だけだ。

 

『山本氏は立候補に向け、立憲民主党など他の野党と調整を進め、立民のベテラン小沢一郎氏とも9月中旬に会談して立候補する小選挙区を検討していた』 (共同通信21年10月8日)』

 

~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~

 

 山本氏は15年、小沢氏と「生活の党と山本太郎となかまたち」を結成。共に政治活動を行なっていたことがある。(・・)

 

 小沢氏は、93年に細川護煕氏を担いで野党連合で政権をとった成功体験があるのだが。近時は、山本氏を野党共闘のTOPにおいて戦うことがアタマにあったようで。昨年の都知事選でも、野党統一候補として山本太郎氏を擁立することを考えていたようだ。^^;

 

<小沢氏は昨年7月、サンデー毎日のインタビューで『「(山本)太郎君を4月から口説いていた。太郎君も都知事選に出たい、と言う。出たいならいい、君にとっての最高のチャンスだと。僕が絶対に野党をまとめ統一候補とする、と言い、よろしくと言われて別れた。がその後になって『れいわの公認で出る』と言う」 「本人に最終確認してないがいいか、と聞いたら、(立憲、国民、社民、共産)皆OKだった」・・・「仮に負けてもいい勝負で200万票くらいで小池氏と競り合えば、皆で太郎君を(首相に)担ぐか、という声も出かねない」「野党共闘にも求心力が生まれる格好の機会だった」』と語っている。(*1に記事の関連部分アップ)>

 

 山本氏が、衆院選出馬について小沢氏と相談していた可能性は極めて大きい。ただ、東京8区から出馬する話が、小沢氏と懇意の平野選対委員長まで通っていたのか。さらには枝野代表の了承も得ていたのかは「???」だ。

 

(『日本がアブナイ!』 2021年10月12日)

 

出典:https://mewrun7.exblog.jp/29711634/

 

 昨年の都知事選では、山本を「野党統一候補」として出したかった小沢に対し、山本は「仮に宇都宮健児氏が出馬したとしてもどうしても出たかった」ために、山本から出馬辞退の打診を受けた宇都宮氏がそれを蹴飛ばして(当たり前だ!)出馬しても退かず、出馬を強行して宇都宮氏に及ばない得票しか得られなかったのだった。この経緯に激怒した小沢は、一度山本との関係を断ったとされていた。

 それがいつの間にか両者の関係が修復され、今回再び浮上したというのが真相だろう。仮に山本が野党統一候補になったのなら、それは小沢の意に沿う結果だった。しかし、都知事選で宇都宮健児氏に降りる意向が全くなかったのと同様、今回は吉田晴美に降りる意向など全くなかった。おまけに、地元から猛烈な反発が巻き起こり、山本は出馬撤回に追い込まれた。山本の出馬宣言までは都知事選と瓜二つの構図だったとみなければならない。ただ、山本が出馬辞退に追い込まれた結末は都知事選とは違っていた。

 今回の山本の撤退を「賢明な判断」ともてはやすのは山本に対する過大評価だ。山本はあくまで「追い詰められて観念した」だけだと私は思う。

 結論。立憲民主党は今回の「軽微災害」を分析した上で再発防止策を講じなければならないが、分析を行う上で小沢一郎というファクターを外してはならない。また、外部から騒動を分析する際にも、小沢を考察から外しては何の意味もない。

 今回の騒動は、まぎれもなく「小沢案件」だった。

*1:但し、民主党政権時代前後にはブログ主は「菅氏も小沢氏も」と称してずいぶんオザシンに迎合していた。これがこのブログから私の心が離れた最初のきっかけになった。

「東京8区出馬は立憲民主党が決めたことで山本太郎は被害者であるかのような擁護論がある」そうだ(by 神子島慶洋氏)。噴飯もの。×××新選組は立民の二軍なのか?

 神子島慶洋氏のツイートより。

 

 

 そんなエクストリーム擁護論まであるのか。

 山本太郎は「×××新選組」という、名前は暴力団みたいだが政党の代表だ。なぜ政党の長の選挙区を他の政党が決めるなどという荒唐無稽な話が出てくるのだろうか。それとも「×××新選組」は立憲民主党の二軍なのだろうか。阪神ジャガーズ*1かよ。

 

 

 リンク先の共同通信の記事は昨日弊ブログでも取り上げたが、小沢一郎の名前が出ていて、9月中旬に山本太郎と会談したと書かれている。そこで小沢が山本に東京8区を紹介したとでもいうのだろうか。まさか。東京8区には立民に候補予定者がいるのだから、立民の一兵卒である小沢がこの選挙区を紹介するはずがない。合理的に考えれば、この時に山本が小沢に「東京8区から出たい」とおねだりした以外の可能性はあり得ない。しかもこの選挙区には他ならぬ新選組に辻村千尋という候補予定者がいた(現在は比例北陸信越ブロックに転出)。山本は、自分の立候補がこれまでの辻村氏の活動を無に帰することなど全く意に介さなかった。冷酷非情な人だと思う。

 

 

 朝日にはオザシンの佐藤章とかヤマシンの鮫島浩などがいたけれども、2012年に紙面を挙げて日本未来の党を応援し、今回もまた山本太郎側からのリークを垂れ流した(と私は確信している)東京新聞みたいに「一線を越える」ことはなかったように思う。民主党政権時代(2009〜12)の朝日にはアンチ小沢色が強く、オザシンたちの怨嗟の的だった*2。今回の一件で、やはり朝日と東京新聞との間には大きな差があることを改めて感じた。

 

 

 確かに南彰記者は「都連幹部」と書いている。これだと長妻昭手塚仁雄になる。ほんまかいなと私も思った。また小沢一郎(や平野博文)の名前が出てこないのも奇異の念を持った。民主党政権時代とは違って、朝日がずいぶん小沢寄りになってしまったとはいえるかもしれない。

 

 

 何度も書くけれども、この「既成事実化」は自民党の得意技だ。もっとも失敗に終わってしまった点で自民党には及ばなかったといえるかもしれないが。

*1:1954年から56年までの、阪神タイガース(昨日の試合は最後まで気を抜けなかった。マクガフがマルテに逆転3ランを打たれる可能性があった)の二軍の名前。

*2:当時の朝日は主筆船橋洋一だったためもあるかもしれないが。