kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

『週刊朝日』5月末で休刊へ。1974年の「インチキスプーン曲げ」暴露記事が思い出される

 『週刊朝日』が101年の歴史に幕を下ろす。

 以下NHKニュースより。

 

www3.nhk.or.jp

 

週刊朝日」5月末で休刊へ 創刊から100年余 週刊誌市場縮小で

2023年1月19日 12時18分

 

週刊誌市場が縮小する中、100年余り前に創刊され、日本最古の総合週刊誌とされる「週刊朝日」がことし5月末で休刊することになりました。

 

週刊朝日」は大正11年の1922年創刊で日本最古の総合週刊誌とされ、政治や社会問題だけでなく司馬遼太郎の歴史紀行、「街道をゆく」を連載するなど幅広いテーマを取り上げてきました。

週刊朝日」の発行元の朝日新聞出版によりますと1950年代には発行部数が100万部以上に上りましたが、去年12月の平均発行部数はおよそ7万4000部だということで、週刊誌市場の販売部数や広告費が縮小する中、ことし5月末をもって休刊を決めたということです。

朝日新聞出版は「100年余りにわたって読者の皆さまから多大なるご愛顧をいただき心より御礼申し上げます。今後はウェブのニュースサイトや書籍部門により一層注力していく判断をしました」などとコメントしています。

また朝日新聞社が発行するジャーナリズム専門誌「Journalism」も、ことしの3月号をもって休刊するということです。

 

NHKニュースより)

 

出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230119/k10013953961000.html

 

 『週刊朝日』は亡父がよく買っていた。購読紙が朝日だった頃は『サンデー毎日』を買っていたが、毎日に変えたあとは『週刊朝日』だった。さらに読売に変えたら『週刊朝日』と『サンデー毎日』の療法を買うようになった。晩年には右翼化が顕著になって産経をとるようになり、その頃には両誌とも買わなかった。

 1970年代半ば頃から『週刊朝日』の巻末には「山藤章二のブラック・アングル」が載るようになり、それが新潮文庫に入ったので何冊か買った。1976年から79年頃までの分。それ以降も文庫化されていたのかもしれないが、最初の方しか買わなかった。

 あと70年代の同紙は篠山紀信撮影の表紙がウリで、熊本大学の学生だった宮崎美子が芸能界入りするきっかけになったはずだ。宮崎は勘の良い人で、昨年も山本太郎の「目が怖い」という的確な批評をした(笑)。下記は昨年7月の池戸万作のツイート。

 

 

 この件では山本のいかがわしさを見抜いた宮崎を評価すべきだろう。

 検索語「週刊朝日」でググっただけで下記のしょうもない記事がヒットした。記事の引用はしない。

 

news.yahoo.co.jp

 

 あと『週刊朝日』でなにがあったかなあと思い出そうとしてもなかなか出てこなかったが、そうだ、スプーン曲げの少年のトリックを暴いたよな、と思い出した。1974年のことだ。この件を取り上げたブログ記事があった。

 

ameblo.jp

 

 上記ブログ記事によると、『週刊読売』は少年の超能力は本物だとの論陣を張って『週刊朝日』と激論を交わしたらしい。私は最初から、どうせ投げる直前に曲げてるんだろとしか思っていなかったから、『週刊朝日』の暴露にもさもありなんと思っただけだった。

 しかし読売がどうしようもないのは政治やプロ野球だけに限らないことがよくわかる一件だ。この件及びその背景となった1973〜74年の超能力ブームは、1973年に突如として高度成長経済が終わるのと相前後して、完全なフィクションである小松左京の『日本沈没』とともにペテン師だった故五島勉が書いた『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになったこととも共通する時代の流れに乗ったものだったと思われる。

 当時の超能力ブームには、テレビ番組の影響が非常に大きかった。以下、高橋直子*1が2021年に『文春オンライン』に書いた記事から一部を引用する。長いのと、記述の順序に問題があって混乱しやすい箇所があるので、いくつかに分けて引用する。

 

bunshun.jp

 

 まず記事の前半部分を引用する。

 

「1、2、3…曲がれ!」社会現象になった超能力ブーム…異常な熱気を生み出したTV各局の“オカルト倫理観”を振り返る

『オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析』より #1

 

高橋直子 2021/07/17

 

空前の超能力ブーム

 

 超能力ブームといわれた社会現象をテレビ番組の展開から描出してみると、次のようになる。まず、ブームの火付け役になったユリ・ゲラーが日本のテレビ取材に初めて応じたのは、1973年12月214日(原文ママ)放送の『11PM』である。ディレクター(矢追純一)の面前で金属製品(パイプ用コンパニオン)を曲げ、切断してみせた。翌74年2月、初来日。この間、1月24日放送の『13時ショー』「スクープ!超能力少年日本で発見」に関口淳(当時11歳)が出演し、スプーン曲げを披露していた。2月25日、『11PM』にユリ・ゲラー生出演。司会の大橋巨泉やアシスタントの松岡きっこの前でスプーン曲げを実演し、関口少年と対面する。翌日、ユリ・ゲラーは日本を去る。

 

 続いて、1974年3月7日午後7時30分、日本テレビで『木曜スペシャル』「驚異の超能力!!世紀の念力男ユリ・ゲラーが奇蹟を起す!」が放送される。番組前半は離日前の公開録画で、ユリ・ゲラーがフォークを曲げてみせた。彼は念力を発揮するのに、観客や視聴者に助力を求める。「さあ、みなさん。僕に力を貸してください」「テレビを見ているみなさんも、僕と一緒に念じてください…曲がれ…と!」「1、2、3…曲がれ!」――こうしたパフォーマンスに、テレビの前の視聴者は引き込まれた。後半はカナダのトロントからの生中継で、彼は日本に念力を送るという。視聴者はスプーンや動かなくなった時計を手にするよう促される。スタジオにはスプーンを手に念じる司会者とゲスト、視聴者からの電話を受ける一群の女性スタッフ――すると、司会の三木鮎郎の止まっていた古時計が動きだし、視聴者から「うちのスプーンが曲がった」「止まっていた時計が再び時を刻み始めた」などの電話が相次いだ。「当夜だけで1万件の電話があり、局の電話交換機が焼けただれたという」

 

(中略)

 

 超能力ブームをテレビ番組で追ってみると、4月から5月初旬(ゴールデンウィーク)がブームの最盛期だったと看取できる。超能力への関心が社会的話題となった4月から5月上旬、ワイドショーは3日にあげず超能力を出し物としていた。

 

ブームの過熱と収束

 

 超能力番組への批判は、4月初旬から新聞紙面に見いだされる。4月6日付「読売新聞」に掲載された囲み記事は、石川雅章からの手紙を紹介しながら、子どもたちが超能力者に祭り上げられる状況に対する懸念を示す。

 

「私にもできます」「うちの子だって…」といった種類の電話は、新聞社にも数多い。念力少年・関口淳くんも出演した4日夜の日本テレビ特集番組を見ていたら、この番組についての電話お断りというテロップが流れたから、テレビ局にはもっと激しいのだろう。そして目下、超能力のスターには、なぜかチビッ子が多い。(略)少年や少女はこれらの不思議をメルヘン的興味で受け取り、自らも試みるわけだが、たまたまその“冒険”に成功したように見えると、金のタマゴのように目をつけた大人たちが、少年少女の一生を狂わせることにならないか……。戦前、山田喬樹という男は娘をテレパシー(暗号によるアテモノ奇術、と石川氏は言う)の霊能少女に仕立て、9歳から15歳までの大切な少女期の彼女を、生き神さまとして御簾(みす)の中に閉じ込めた。そしてぜいたくな暮らしをしていた山田が昭和12年7月に福岡県で愛妾(あいしょう)と共にサギ罪で捕えられた時、娘の方は「これでようやく人間に戻れました」と喜んだ。これは当時、大きく報道された事件だったらしい。これは極端な例にしても、やはりテレビに登場した某少年のところには、身の上相談的な客が日に何十人か押しかけているという。石川氏の指摘する危険性なしとしない

 

「読売新聞」1974年4月6日付夕刊

 

朝日新聞は「イワシの頭も信心だから…」

 

 また、4月20日付「朝日新聞」「天声人語」は、「イワシの頭も信心だから、大騒ぎしている人に水をさすのもどうかと思うが、ばかばかしい話としか言いようがない」と、次のように論じた。

 

「科学で解けぬ奇跡」と麗々しい触れ込みで、テレビは視聴率を上げる。本気でそう信じているのなら困ったことだし、そうでないなら無責任な話である。手品師が「タネも仕掛けもありません」と口上よろしく、シルクハットからハトや金魚ばちを出すのも不思議なことだが、だれもこれを「超能力」とは思わない。タネがあるのを知っているからだ。ただそれを見破れないから手品師は商売になる。「超能力」のタネが見破れないのは手品と同じだろうが、それに「奇跡」やら「神秘」やらともっともらしい言葉をつける。トリックさえトリックして、集団催眠術にかけようとするところがなんともいただけぬ。

 

天声人語」「朝日新聞」1974年4月20日付朝刊

 

(文春オンラインより)

 

出典:https://bunshun.jp/articles/-/47070

 

 元記事ではこのあとに、約1か月後の「天声人語」及び『週刊文春』の記事を引用しているが、これらはいずれも弊ブログの本記事にとっての焦点である『週刊朝日』が少年のインチキスプーン曲げを暴露した記事のあとに生じた「世間」の「空気」が変化したことを受けて書かれたものだ。肝心の『週刊朝日』の記事はそれらのあとに言及されるが、元記事のままだと時系列がわかりにくいので、上記の部分の引用は後回しにして『週刊朝日』の記事に言及した部分を先に引用する。

 

 超能力ブームは、「超能力を信ぜざる者は人にあらず」という空気が醸成されるほど過熱したが、週刊朝日」1974年5月24日号(朝日新聞社)が関口少年のスプーン曲げのトリックを捉えた写真を掲載、「衝撃スクープ」「科学的テストで遂にボロが出た!」「“超能力ブーム”に終止符」と報じると、ブームは一転する。「週刊朝日」のスクープ以降、超能力ブームは急速に下火になって収束する。

 

出典:https://bunshun.jp/articles/-/47070

 

 このあと、先に「後回しにする」と書いた部分を引用する。

 

 およそ1カ月後、5月16日付「朝日新聞」「天声人語」は再び超能力ブームに言及するが、そのなかで「先日、このコラムで『手品を超能力だと称するところがいただけぬ』と書いたら、たくさんの投書をいただいた。ほとんど全部が『科学盲信の独断だ』という反論だった」と明かしている。超能力を率直に否定する言説に対して、受け手(読者)が反発を示すマスコミュニケーション状況があったことがうかがえる。

 

 以下は、「週刊文春」1974年6月10日号にある記事の冒頭である。

 

 超能力を信ぜざる者は人にあらず、から一転して、スプーンを曲げるなどといおうものなら、白い目で見られかねまじき雰囲気だが、この一大キャンペーンの先頭に立つのが大朝日。その威力のほどをまざまざとみたり、といいたいところ

 

文藝春秋編「週刊文春」1974年6月10日号、文藝春秋、148ページ

 

出典:https://bunshun.jp/articles/-/47070

 

 さらに前記二度目の「天声人語」(1975年に夭折した深代惇郎氏の筆になる文章だと思う)の1週間後に朝日新聞に掲載された記事が引用される。

 

自粛した局と続けた局

 

 以下は、東京・大阪の二局が超能力番組の自粛を決めたことを報じる1974年5月23日付「朝日新聞」の記事(リードを除く本文)である。超能力番組に対して当時なされた批判の要点を把握できる内容なので、長くなるが、全文を引用する。

 

 自粛を決めたのは大阪の毎日放送で、このほどNETなどネット局にも配慮を求める申し入れをした。大阪府教委から「スプーン曲げには、トリックを使っている子どもがおり、テレビで取り上げるのには教育上問題がある」との申し入れがあったからだという。

 

 TBSも「局員を拘束してはいないが、新しい事実が出ない限り放送しない」という。同局の宇田テレビ本部長は「もともと民間放送連盟がつくった“放送基準”103条で心霊など、科学を否定するものは扱わないことになっている。手元が映ると念力が出ないなど、超能力者を自称する人たちの撮影条件を受け入れた形で番組を構成すると、どう解説してみても、テレビ局が超能力演出の片棒をかついだとみられるからだ」という。

 

 しかし、これまでたびたび超能力番組をやってきた日本テレビは、さる20日の記者会見で「番組としてはとにかくおもしろいんだから、これからも続ける。科学でも証明できないことはいくらでもある」と動じない。

 

 超能力番組が多くなったのは昨年秋ごろからで、はじめは外国の超能力実演をフィルムで紹介する形で始まった。その後、外国の超能力者の一人といわれるユリ・ゲラーのスプーン曲げを放送したところ「私もスプーンが曲がる」という人が大量に現れ、ブームが頂点になった。

 

 各局は、こうしたスプーンを曲げられる少年少女たちを番組に出演させた。しかし、もともとスプーンは手で曲げることができることや、この“超能力者”たちは「視線が直接当たると力が出ない」などと、さまざまな条件を付けるため、本当に念力で曲がったかどうかはとても証明できない。このため超能力か、そうでないかは曖昧なままで、子ども番組やワイドショーが競って超能力番組をつくり、20数回出演したという超能力タレントまで現れた。

 

 あるテレビ局のプロデューサーは「インチキ超能力者が多かった。科学では理解できない現象も目撃したが、なにしろ“自分だけの空間をつくってほしい”という彼らの要求を入れると、直接目で見ることができないため、どうしてそのような現象が起きるかは解明できるはずがない。出演した子どもたちがみんなウソつきとは思えないし、むしろ自己催眠にかかって、力で曲げていたように思う」という。

 

 23日、渋谷などの街頭で1500枚のビラ配りをする「超能力番組を告発する会」(仮称)は、「あいまいなものが、テレビを通じると、いかにも真実になってしまう魔性」を問題にしている。このグループは若手のアングラ映画制作者らが発起人となったもので、26日午後8時から、東京渋谷区桜ケ丘三丁目の「ポーリエ・フォルト」で超能力番組を考える討論会を開く。

 

 会の発起人の一人、伊東哲男さん(25)は「超能力を信じる人がけしからんなどとはいえない。しかし、一連の超能力番組は、実体が不明確なものを、視聴率がいいからと、いかにも本当らしく見せ、テレビの性格を巧みに使った手品の疑いが濃い。たかがスプーンなどといっていると、もっとこわい視聴者操作が起きたときに防げなくなる。視聴者への影響を安易に考えてほしくない」という。

 

朝日新聞」1974年5月23日付朝刊

(後略)

 

出典:https://bunshun.jp/articles/-/47070

 

 そうなんだよな。「もともとスプーンは手で曲げることができる」とは、当時ローティーンだった私もずっと持っていた疑問だったが、周囲は同級生どころか晩年に極右化する前の亡父まで「超能力信者」と化した者ばかりだった。この当然の疑問を口にすることさえ憚られる空気があの当時には確かにあったのだ。現在のヤマシンだの「泉信者」だの「共産党信者」だのも同じなのではなかろうか。だからこそ「王様は裸だ」と言ってくれたも同然の『週刊朝日』のインチキ暴露記事には大いに溜飲を下げたものだった。こんなことを書くのは今回が初めてかもしれない。

 『週刊朝日』の記事によって一変した空気に敏感に反応したのが、大阪のMBSと東京のTBSだった。最初、両方とも同系列じゃないかと一瞬思ってしまったがそれは間違いで、1974年当時のMBS毎日放送)はANN系列で、TBSをキー局とするJNNには属しておらず、「物言う準キー局」として独自色を出したものだった。だから記事にも「NETなどネット局にも配慮を求める申し入れをした」と書かれている。NETは現在のテレビ朝日である。

 問題はやはり読売であって、読売新聞本体ではまともなことを書いていたのに、系列会社である日本テレビはもちろん、自社で出していた『週刊読売』では「超能力ブーム」を煽りに煽っていたのだった。そして春から秋までは同じ日本テレビが読売戦中継を全国に垂れ流していた。プロ野球の読売軍はその天罰でも受けたのか、1974年にリーグ10連覇を逃すと翌1975年には球団創設初の最下位に落ちたが、以後の47年間で読売の最下位は一度もないのである。なんたることか!

 読売と系列メディアの罪深さは昔も今も変わらない。大阪の読売テレビには辛坊治郎が同社退社後も出突っ張りだし、同じ局が日曜日昼に首都圏等を除いて全国に流す、かつてやしきたかじんの名を冠した極右番組は、冠こそ外れたものの今も続いている。

 読売はともかく、1974年の『週刊朝日』は良い仕事をしたといえる。しかし1970年代から80年代にかけてのこの雑誌は朝日新聞社の右派記者の溜まり場だった。少年のインチキを暴いた記事を企画した『週刊朝日』副編集長の稲垣武(1934-2010)も例外ではなく、稲垣は1989年に朝日を辞めたあとは右翼言論人として古巣批判に精を出した。1994年には第3回山本七平賞を受賞しているが、これは右翼が受ける賞である。稲垣の前年に第2回山本七平賞を受けたのは、あの悪名高いオザシン系陰謀論者・孫崎享(1943-)だった。

 そういえば今世紀に入ってからの『週刊朝日』もオザシン御用達の週刊誌と化した時期があった。その頃から同誌を立ち読みする気が失せたが、その数年後からは本屋で見かけることもなくなった。同様の末路をたどりつつあるのが『サンデー毎日』であって、この雑誌など『週刊朝日』が続いているから部数的には『週刊朝日』よりももっと少ないのに意地で続けていただけではなかろうか。こちらも鈴木哲夫のトンデモ記事が多数載るようになって以来立ち読みする気が失せて現在は本屋でもまず見かけない。『週刊朝日』のあとを追って休刊する可能性がきわめて高いのではないかと推測している。

*1:https://book.asahi.com/article/12212339によると氏は1972年生まれとのことで、同じ読みの元マラソン選手(高橋尚子)と同年齢。

立憲は泉氏の就任以来、関東で大きく票を失っています。(三春充希氏)

 いよいよ三春充希氏が立民と共産の支持率や国政選挙での得票などの統計データを公開するようだ。

 三春氏のツイートを受けて下記のツイートを発信した人がいた。

 

 

 これに対する三春氏のツイートが下記。2021年衆院選(枝野代表時代)と2022年参院選(泉代表就任後初の国政選挙)での関東での立民の絶対得票率の変化が図示されている。

 

 

 三春氏の他のツイートをリンクする。

 

 

 

 2017年衆院選か。私は立民には投票していない。東京15区の野党候補は当時希望の党(現自民党)の柿沢未途共産党の吉田年男だったから吉田に投票するしかなかった*1。比例では原則として社民、社民に気に入らないことがある時には共産に入れる(このケースはしばしばある)。私は昔も今も柿沢未途を蛇蝎のごとく嫌っているから柿沢なんかには絶対に投票しない。柿沢は前回衆院選後に自民党に行ったが、元自民党の親父を持つ柿沢にとっては当然の行動だったに違いない。

 このところ弊ブログでは泉健太を批判し続けているが反応は少ない。書いているのが上記の通り必ずしも立民を支持していない人間だから仕方ないかも思うが、上記三春氏のツイートは私の肌感覚と実によく合っている。

 以下、上記ツイートへの反応。

 

 

 

 

 泉がドラスティックな立民の都道府県総支部長の人事異動を行い、昨年の代表選で公約したらしい衆院選挙区の総支部長早期再任もおそらく意図的に遅らせていることを私はつい最近「立憲ナビ」を名乗るTwitterアカウントが散発的に発信するツイートやその他立民支持者たちのツイートから読み取ってそれらをブログ記事でも紹介したのだけれど、泉の支持者やそれにつるんでいる人たちはそれらを批判するでもなく黙殺している。最近は泉の批判者を「限界系」というレッテルを貼って罵倒する風潮がネットの一部にあるので、その流れへの迎合や忖度があるのかもしれない。

 しかし泉の立民代表就任後に立民が大量の票を流出させた事実は動かないから、しびれを切らした蓮舫が泉を批判した。しかし主義主張や思想信条では蓮舫は保守派にして新自由主義者であってむしろ泉に近いから、泉に対しても「発信力」を問題にするのみだ。実際には単に「維新にすり寄る泉」と「『小池百合子さんの背中を眩しく見ていた』蓮舫」の違いがあるに過ぎない。

 以下にNHKが報じた蓮舫の泉批判のニュースを示す。

 

www3.nhk.or.jp

 

立民 蓮舫氏 去年の参院選めぐり 泉代表の発信力に問題と批判

2023年1月17日 21時57分

 

立憲民主党蓮舫参議院議員は、去年の参議院選挙で党の支持が広がらなかったのは泉代表の発信力に問題があったと批判し、政策の発信を強化するよう党執行部に注文をつけました。

立憲民主党蓮舫参議院議員は、17日夜、東京都内の大学で講演しました。

この中で、蓮舫氏は、去年の参議院選挙で党の支持が広がらなかった原因を問われたのに対し「泉代表の発信力がダメなのではないか。経験が浅く、知名度がない人をトップに立てると、まっとうな政策を言っても国民に届かない」と述べました。

そのうえで「野党の存在価値は、賃上げなど『こういう社会をつくりたい』と声高に言うことだ。われわれには政策があるので、執行部は猛省して、来週23日からの通常国会では国民に政策を届ける立憲民主党でなければならない」と注文をつけました。

 

NHKニュースより)

 

出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230117/k10013952601000.html

 

 蓮舫(私は支持しないが)の批判や三春氏が今後公開する統計データをきっかけに、少しは議論が進むのだろうか。泉はもう1年3か月も代表を務めているから、もう十分長い期間党首の座にいると私は思うのだけれど。

 そうそう、弊ブログにいただいたコメントに、橋本健二氏の分析によると無党派層の1割が新自由主義右翼で4割が穏健保守、5割がリベラルだという指摘があった。この分析自体は確か橋本氏の本にも載っていたはずなのでそれを読んで知っていたが、橋本氏はその1割の新自由主義右翼が現実の政治に強い影響力を持っているという。今日はもう時間がないし明日はおそらくブログの更新ができないので、明後日の土曜日にでもご紹介したいと思う。

統一地方選は維新が伸びる可能性はなお高い。新選組と参政党も伸びるのはほぼ確実で、そのぶん自民、公明、共産は防戦になる(三春充希氏)

 三春充希氏のツイートより。

 

 

 

 維新の政党支持率が急落したといってもまだまだ高い。ことに2018年末頃の最衰期と比較すると嘘のような高さだ。

 そして統一地方選は維新・新選組・参政党という三大右派ポピュリズム政党が伸びる可能性大とのこと。気が滅入る。自民・公明が防戦を強いられるのは良いけれども、共産や立民は今のままではお話にならないだろう。共産は新選組に、立民は維新になんかそれぞれすり寄ってる場合じゃないんだよ。それなのに志位和夫泉健太も権力の座に居座って二人とも逆噴射までしてやがる。どうしようもない。

「×××ローテーション」は熾烈な組内権力抗争の産物だった(呆)

 ×××新選組の支持者及び信者たちのTwitterを眺めていて、タイトルに書いた通りの呆れた実態を知ってしまった。悪いけど野次馬にとっては結構面白い見ものなので、つい見入ってしまった(笑)

 まず驚いたのは「サポーター」を名乗るアカが痛烈な「×××ローテーション」批判をしていた事実だ。

 

 

 つまり、水道橋博士氏の議員辞職に伴って大島九州男が繰り上げ当選することが気に食わない人たちが組内(党内)にいて、彼らが仕掛けた「大島降ろし」に組長の山本太郎が加担したということらしい。まさに「仁義なき戦い」である。

 主に「×××サポーターズ埼玉」氏のリツイートから、組の構成員たちのツイートをいくつかリンクする。

 

 

 

 上記ツイートは喧嘩のスレッドになっているので以下にたどる。

 

 

 

 ついに組長の独裁に対する批判まで飛び出した(爆)

 

 

 

 

 

 私なんか腹を抱えて爆笑してしまった。いや、志位和夫泉健太に盲従するばかりの共産や立民の「信者」たちが批判に対して示す気色悪い「沈黙」(黙殺)と比べればよほど健全で良いといえるかもしれないが。

 この記事で最初にリンクした埼玉のサポーターズ氏のツイートも喧嘩の一部だった。以下に紹介する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「圧をかけたと思われる個人名」は最初はわからなかったが、ツイート群を見ているうちに簡単にわかった。プロ野球のスワローズにとって最大のライバルと思われるチームに同姓の選手が2人いる、方角を表す一文字を姓とする人だ。「アレ」なんか絶対に許してなるものか(笑)

 

 

 

 「N」なんて書くから簡単にわかってしまう(笑)

 

 

 

 あのリズ・トラスを絶賛したツイートで馬脚を現した事実上の過激な新自由主義者・長谷川羽衣子も「N」の側で「大島降ろし」を仕掛けている側らしい。そりゃそうだろうな、長谷川はもともと緑の党の構成員で、「×××ローテーション」はドイツの緑の党の手法に倣ったものらしいからな。日本で某トラさんチームが優勝してフィーバーを起こした1985年頃にカリスマ政治家が造反してローテーションは破綻したとのことだ。某トラさんチームも1987年に池田親興マット・キーオが登板しては打たれ続けてローテーションが崩壊したあたりから暗黒時代が始まった。入れ替わって万年最下位を脱出したのがスワローズだった。そういやホーナーが池田から3連発打ったよな。

 

 

 ついに組長、もとい教祖が呼び捨てにされた(爆)

 

 

 

 

 そりゃそうだ、「山本太郎が言ったから納得する」なんて論外の態度ですよ。そんな人たちに自公維を批判する資格なんかありはしない。

 同じことが「山本太郎」を志位和夫泉健太に置き換えてもいえると、共産や立民の支持者たちに対しても私は言いたいけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これについては、最近共産党が同じようなことを指摘されていた。警告処分を常任幹部会の権限にしたことについてだ。国政選挙での連戦連敗の責任を取らない志位和夫が逆噴射して独裁権力を強めたものではないかともみられている。松竹伸幸氏は

 結局のところ、中央委員会の承認を経ずに(常任幹部会だけの権限で)処分できることの意味は、公表しないで済むということに尽きるわけである。ということは、公表しない処分を行う必要性が生まれている、そんな意味合いをもつなのだろうか。よく分からないけれど。

と書いた*1

 

 

 ついに実名が飛び出した。

 

 

 業腹、もとい郷原信郎も×××新選組の構成員になっていて、大島九州男を応援していたようだ。

 

 

 

 また実名が飛び出した。

 

 

 だから支持者じゃなくて信者だって私はずっと言ってるんだよ。弊ブログは他党というか当該の「組」以外に対しては「信者」と括弧付きで書いているけど、ある時期以降、組の連中に対しては括弧を外して信者と表記している。悪いけど立民や共産と比較しても×××新選組の方がよっぽどひどいよ。

 まあこのくらいにしておくが、こういうのを見ていると山本太郎が共同代表を2人置いた理由がわかるような気がする。やはり山本は足抜けのタイミングを計っているのではなかろうか。

ウィングをどんどん狭くしているのは泉健太さん自身なんじゃないか。(尾張おっぺけぺー氏)

 立民代表・泉健太の問題について、尾張おっぺけぺー氏のツイートに共感したので記録しておく。

 

 

 

 

 

 そういえば上記ツイートにこたつぬこ(木下ちがや)氏が噛みついていたっけな。少し前まで共産党系の学者として鳴らしていた人が、なぜ泉健太のような新自由主義者を躍起になって擁護するのか私にはさっぱり理解できない。

 

 

 この最後のツイートには特に強く共感する。

 本当にその通りなんだよなあ。「息苦しさ」を作り出して、「魔女狩り」や「純化」をやっている張本人が泉なんだと思う。あるいは2017年に小池百合子が口にした「排除」という言葉*1が似つかわしいかもしれない。

 しばしば思い出すのだが、小池があの「排除」発言を発した時、しめた、これで流れが変わると私は確信したものだ。案の定枝野幸男が旧立民を立ち上げたが、枝野の動きは1日遅かった。1日だけだが逡巡した。その優柔不断さが現状を招いてしまったのではないかと私は今でも思っている*2。政治家に一番求められる資質は反射神経かもしれない。

*1:弊ブログは小池百合子が「排除」騒動を引き起こす約2か月前の2017年8月2日に公開した記事(https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20170802/1501632632)に「民進党内の中間派やリベラル系議員は、長島昭久渡辺喜美若狭勝や、その背後にいる小池百合子(小池自身は次の衆院選には間違いなく出馬しない)に排除されるだろう」と書いて「排除」騒動を言い当てていた。小池が同様の「排除」を上記記事を公開した直前に行われた都議選でやったことを知っていたので、衆院選でも必ずや同じことをやるに違いないと私は確信していたのだ。

*2:同様の優柔不断さは小川淳也にも感じた。小川自身の思想信条や主義主張からいえば旧立民入りが当然だったし、当時TBSだったかで見た小川の密着取材でも、小川は立民に行きたいという気持ちをにじませていたが、結局小川は前原誠司玉木雄一郎とのしがらみが断ち切れず、希望の党入りを選択してしまった。

×××新選組の水道橋博士参院議員が議員辞職し、比例区の繰り上げ当選者を同組が「×××ローテーション」と称して1年ずつ議員を交代させる奇策を打ち出した

 ×××新選組水道橋博士(すいどうばしはかせ、本名小野正芳)参院議員が議員辞職した。辞職は止むを得ないと思うが、比例区の繰り上げ当選者を同組が「×××ローテーション」と称して1年ずつ議員を交代させる奇策を打ち出して一部から批判を浴びている。

 現時点での私は新選組よりも立民(泉健太)と共産(志位和夫)の問題の方がより深刻だととらえていることもあって本件には価値中立的なのだが*1新選組の構成員と思われる辻恵氏のツイートと、それに対する批判のツイートを紹介しておく。なおこれらは社民党員・まことん氏が辻氏に対する批判ツイートをリツイートしたことから知った。まことん氏自身のスタンスを示すツイートは下記。

 

 

 辻氏のツイートは下記。

 

 

 これに対して「課長」氏が批判のツイートを発信した。まことん氏はそれをリツイートした。当該ツイートは下記。

 

 

 なるほど、それを「個人主義的でカリスマ的なリーダー」が悪用したわけか。あっ、いかんいかん、「価値中立的」の看板に偽りありになってしまう(笑)

 

 

 

 そんなわけで、下記リンク先に目を通した次第。

 

cpri.jp

 

 内容は課長氏のツイートに要約されているので引用はしない。

*1:現在は双方の意見に耳を傾ける段階。但し心情的には私は大のアンチ新選組なので(現元号を政党名に掲げる時点で許容できない)、当然ながらバイアスがかかった結論に至る可能性が高いが。

2010年(菅直人政権時代)の仙谷由人「暴力装置」発言当時の言論状況を回顧する

 コメント欄で2010年に故仙谷由人が発した「暴力装置」の件が言及されていたので、弊ブログの過去記事を検索していたら、当時の言論状況も既に十分ひどいものだった。特に朝日新聞には呆れ返ったものだ。下記にリンクのみ示す。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

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 上記記事からリンクした谷垣禎一の恥ずかしいツイートは、今も削除されずに残っている。この人も本当にダメな政治家だったよな。

 

 

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 佐藤正久も恥ずかしいツイートを発していたが、佐藤にはそれを削除するだけの良識はまだ残っていた。しかしその痕跡は「はてなブックマーク」に今も残っている。

 

b.hatena.ne.jp

 

 私のブコメも残っていた。懐かしい。

 

Twitter / 佐藤正久: マックス・ウェーバーによる「暴力装置」とは「軍隊・警 ...

ひげの佐藤センセ、遁走しちゃったね。ひどいなあ。「脱走と追跡のサンバ」とばかり、追い討ちをかけてみたよ → <a href="http://bit.ly/dhn9hU" target="_blank" rel="noopener nofollow">http://bit.ly/dhn9hU

2010/11/20 15:37

b.hatena.ne.jp

 

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 上記記事で紹介した軍事タカ派の論客であるらしい清谷信一氏の言葉も懐かしい。以下に再掲する。

 

 極めて強大な暴力を行使できるこれらの組織を、慎重に制御・管理するのは政治の務めである。それを「これらの組織に危険は全くないのだ、彼らの忠誠を疑うのか」と、煽るのは無政府主義者によるアジテーターのたぐいでしかない。その方がよほど危険だ。少なくともそのようなポピュリズムに走る人間は国会にいるべきではない。

 

 もともとは朝日新聞の「Web論座」に掲載された論考だが、リンクは既に切れている。

 現在の私が言いたいのは、暴力装置は何も自衛隊(軍隊)だけではないということだ。政治権力もまた暴力装置なのであって、だから政党の支持者といえども支持政党の執行部に対して一定の緊張関係が必要だと弊ブログが強く訴える次第。

 私は下記の文章で記事を締めくくった。当時の文章には読点が多すぎていささか読みにくいので、引用に当たって一部読点の省略などを行った。あとでそれに合わせて元記事も修正したい。

 

 それにしても、軍ヲタの論客・清谷信一氏の方が物分かりの良いリベラル諸氏(笑)よりよほど冷静だと感心した。こんな状況でも「言い出したのが変な先入観を持たれている仙谷だからいけなかった」とか「暴力という訳語は不適切だ」などと、妙に自民党にすり寄る「物分かりの良い」リベラル諸氏というのは本当にサイテーだ。

 むしろ仙谷(と菅直人)が犯した最大の誤りは、簡単に発言を撤回して謝罪したことである。

 

出典:https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20101120/1290236575

 

 ああ、昔からいたんだね、こういう「リベラル」が。

 

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 朝日は菅直人政権時代には結構「右」から民主党政権を叩いてたみたいだね。まあ船橋洋一に加えて曽我豪なんかもいたから(曽我は今もいるかもしれないが)さもありなんではあるけど。

 

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 間抜けな極右議員として私が認識する城内実は遅れてこの件に参戦したようだ。

 

 弊ブログの下記記事にいただいたコメントを以下に引用して記事を締める。

 

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 はんわか

ブログ主様へ
>私が苛立っているのは、泉のように権力者が権力を揮っている冷厳な現実があるにもかかわらず、「泉さんはそんな無慈悲なことをする人じゃない」とかなんとか言って信者的な反応を示す人があまりにも多いことです。

思い出したのが、某政治家が自衛隊暴力装置と表現して叩かれた事例です。
暴力装置と呼ばれうる存在が身近にあるのは居心地が悪いのは理解できるが、負の側面を無視して管理できない。
そして、旧軍や原子力行政の迷走にまで思いを馳せると、政治家の負の側面も無視するのが一般的な日本人なのかなという印象です。

まあ、救いの兆候はあって
某党の某候補の尻をネット上で率先して叩いていたら他の支援者も言うようになって、結果として彼は善戦しましたからね。

いろいろな場で、そういう事例を増やせば意識も変わってくるのかなと思います。
ブログ主様に頑張っていただきたい。

 

 匿名意見

>はんわかさん

当時の仙石さんはウェーバーのいう国家による合法的な暴力の独占を念頭において自衛隊暴力装置といったまでであるようにみえますが、暴力装置(Gewaltapparat)という概念自体は社会学上の価値中立的なものだと思います。自衛隊を肯定も否定もしていません。もともと大騒ぎするような話ではないのです。

日本人の心構え云々ではなく、団塊の世代から下は単に教養のレベルが急落しているという現実があるだけではないでしょうか。私の世代だってウェーバーマルクスも読まずに生きている人が大半です。

まずは厳密に定義された概念をもって各人が人間行動や社会を認識するという段階を踏まないと、政策や政局に関しても有効な批判や立論には至りえず、当然きちんとした議論ないし相互批判も起こりません。

僕は立民や共産の支持者における大勢的な沈黙をみて、日本人は現実を認識して議論するという心構えのずっと前の地点において、もはやそのような「能力」を失っているのではないかという疑念を抱いています。

合法的な暴力の独占がなければ国家は成立しないという事実、慣習的に定まった言葉の意味内容を勝手に変えてしまえば言語によるコミュニケーションは成立しないという事実、こういった大事な事実を踏まえずに我々はいったい何を認識し主張することができるというのでしょうか。

その意味で、僕の懸念ははんわかさんより深いかもしれません。人文社会科学は扱う対象が複雑であるために一義的な結論を導くことができないという側面があるのはたしかです。しかし、だからといってそこで培われてきた認識のための作法や手法や概念を顧みることがなくなるなら、それによって生ずるのは「見たいように物事を見、思いたいように物事を思う『小さな』独裁者の群れ」です。

以上のような僕の主張が人びとが声を上げることを抑制してはならないことはもちろんですが、社会と政治に関わる以上、あるいは関わらざるを得ない以上、人文社会科学的な認識を「志向し続けろ」と、はんわかさんよりも強い要求を国民には向けたいですし、kojitakenさんにも「期待する」のみならず、「言うべきと思ったことは言う」(聞くべきと思ったことは聞く)という態度をとることが重要と考えます。

あっ、でも、これははんわかさんが既にとられている態度ですね。すみませんでした。僕は今の言論状況が無性に腹立たしいのです。

 

 弊ブログはコメント欄での意見のやり取りは大歓迎です。もっとも、某暴犬のように挑発と罵倒だけしか能のない人間はシャットアウトしますが。