kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「液体のりが白血病治療に有効」という話を調べていたら、植民地支配と核開発の話に行き着いてしまった

 「はてなブックマーク」が多数ついたこの件、朝日の見出しを見た時には「アラビックヤマト」の「液体のり」が、白血病で異常増殖して人を死に至らしめる異常白血球をやっつけるのかと思ってしまったが、記事本文を読むとそうではないことがわかる。

 

https://www.asahi.com/articles/ASM5X6HTMM5XULBJ01H.html

 

市販「液体のり」、白血病治療の救世主に? 専門家驚嘆

合田禄 

 

 

 白血病の治療で重要な細胞を大量に培養することに、東京大と米スタンフォード大などのチームがマウスで成功した。これまでは高価な培養液でもほとんど増やせなかったのが、市販の液体のりの成分で培養できたという。白血病などの画期的な治療法につながる可能性があり、専門家は「まさにコロンブスの卵だ」と驚いている。

 白血球赤血球に変われる造血幹細胞は、0・5リットルで数万円するような培養液でも増やすことが難しい。このため、白血病の治療はドナーの骨髄や臍帯血(さいたいけつ)の移植に頼る場面が多かった。

 東京大の山崎聡特任准教授らは、培養液の成分などをしらみつぶしに検討。その一つであるポリビニルアルコール(PVA)で培養したところ、幹細胞を数百倍にできたという。マウスに移植し、白血球などが実際に作られることも確認した。

 PVAは洗濯のりや液体のりの主成分。山崎さんは実際、コンビニの液体のりでも培養できることを確認した。共著者で理化学研究所で細胞バンクを手がける中村幸夫室長は「結果を疑うほど驚いた。研究者はみんな目からウロコではないか」と話した。

 大量培養できれば、臍帯血移植に使う造血幹細胞の不足が解消できたり、骨髄移植のためのドナーの負担を軽くできたりする可能性がある。別の幹細胞も培養できそうだといい、山崎さんは「再生医療や基礎研究に大きく貢献できるかも知れない」と話す。

 論文は30日に英科学誌ネイチャー(https://www.nature.com/articles/s41586-019-1244-x別ウインドウで開きます)に掲載される。(合田禄)

 

朝日新聞デジタルより)

 

 下記は朝日新聞デジタル編集部のツイートより。


 

 上記ツイートに反応した下記ツイートが、この発見の「すごさ」の核心を突いていると思った。

 

 

 

 ポリビニルアルコール(略称PVA、一般名ポバール)というのは日本発の合成繊維として戦前から宣伝されたビニロンの原料として知られる水溶性の合成樹脂。合繊は日本発だが、クラレのサイトを参照すると、PVAは1924年にドイツのヘルマン博士が初めて合成したとのこと*1。現在では化学工業で量産されるありふれた人工の合成樹脂が、白血病治療に使われる造血幹細胞の培地の一部となる成分として適していた。この新発見が、「コロンブスの卵」として医療の専門家に驚嘆されたということなのだろう。

 ここから話を脱線させるが、ビニロンが「国産初の合成繊維」だというのは、遠い昔に小中学生向けの学習百科事典か何かで知ったようなおぼろげな記憶がある。それは1970年代のことであって、当時は戦後民主主義の全盛期だったが、それでも誇らしげに書かれていたから、今でも国粋主義的右翼の琴線に触れる話で、もしかしたら「日本スゴイ」ネタにもとりあげられているのではないかと思った。しかし、概して科学が苦手であろう国粋主義的右翼たちにはなかなかビニロンには気がつかないらしく、「ビニロン 日本スゴイ」でググってみたが、下記が目についた程度だった。

 

 

・液晶偏光膜用フィルム「クラレビニロンフィルム」
世界シェア100%。世界全ての電卓、ノート型パソコン、携帯電話、カーナビ等のLCD(液晶表示装置)に素材として使用されている。
世界シェア世界一

 

 そう、このクラレ(旧倉敷レイヨン)が、大日本紡績(現ユニチカ)などとともにビニロンの量産技術を確立して同製品を商業ベースに乗せた企業だった。倉敷レイヨンは中国地方、大日本紡績は関西の企業だが、これはビニロンの合成に初めて成功したのが京都大学だったためだ。

 

www.kyoto-u.ac.jp

 

 以下引用する。

 

化学研究所所蔵「ビニロン」の資料が化学遺産に認定されました。(2012年3月26日)

 

 化学研究所所蔵の「ビニロン」に関する資料が、公益社団法人日本化学会の「化学遺産」に認定されました。化学遺産は、日本の化学と化学技術に関する歴史資料の中で、特に貴重なものを認定するものです。今回認定された資料は、ビニロンを工業化するための計画書とビニロン紡糸実験装置です。計画書の表紙には桜田一郎教授の直筆で「羊毛様合成一号製造工場計画書」と書かれています。

 ビニロンは国内技術で初めて作られたポリビニルアルコールを主体とする合成繊維で、桜田一郎 教授(当時工学部、化学研究所兼任)らによって発明されました。その基礎研究は当時大阪府高槻町(現高槻市)にあった化学研究所において行われ1939年に完成し、工業化に携わったユニチカ株式会社所蔵の工業化試験記録資料153点と試作糸資料5点、株式会社クラレ(当時倉敷レイヨン株式会社)の所蔵する日本で最初に工業化された初期の糸(トウ)も同時に化学遺産に認定され、両者にも認定証が贈呈されました。

 認定証贈呈式は、3月26日に慶応大学日吉キャンパスで開催の日本化学会第92春季年会で行われ、時任宣博 前所長とユニチカ株式会社、株式会社クラレの関係者に手渡されました。

 

 ところが、この発明にも戦前の日本が行った朝鮮半島の植民地支配が影を落としていることを知った。京大の研究には李升基という朝鮮人研究者がかかわっていたのだ。ネット検索で、10年前に書かれた下記ブログ記事がみつかった。

 

blog.goo.ne.jp

 

 以下、上記ブログ記事を引用する。

 

『ある朝鮮人科学者の手記』 李升基博士の生涯

2009年04月25日 | 世の中を良くしたい!
 
 
●『ある朝鮮人科学者の手記』
この本と出合ったのは1974年、大学1年生の春だった。
私は小中学生時代は”チョウセン”と言う言葉を聞いただけで、体中から汗が噴出しそうな恥ずかしさがあった。

高校生になったら、差別、社会に対する苛立ちが加速し、三無主義⇒生活が乱れ始めた。
酒、タバコ、パチンコの日々・・・。
そして新聞部に入り、信州大学の学生との学園紛争の真似事に足を突っ込んだ。
当然成績はガタ落ちで、入学時には10番以内だった成績は下から数えて数十番にまで崩れた。

■何の目的もなくモラトリアムとして、どこでもいいから入れる信州大学繊維学部に入学。
そこで”同胞⇒トンム(同務)”たちと知り合った!
まるで暗闇で光明を見つけたように走り始めたのです。
本を読み漁り、議論を戦わし、ハングルを覚え・・・。
まさに水を得た魚のごとく寝る間を惜しんで勉強と活動をした!

◆そんな時に出合ったのがこの本。
   
    【私の人生に大きな影響を与えた本です】

李升基博士は、1905年に韓国 全等北道で生まれ、植民地時代に日本に留学し京都大学工学部で合成化学を学んだ。
優秀な成績ながら就職差別にあい、零細企業で糊口をしのぐ。
アメリカでの世界初の合成繊維ナイロンの発明に続き世界で2番目の合成繊維ビニロンの発明を行なう。
しかし、それは日本人の発明とされ、愕然とし虚しさを感じる。
大阪憲兵隊に拘留されるが終戦の8月15日に釈放される。

1945年11月に希望を胸に韓国に渡るが米軍の支配下では研究はまったくできなかった。
1950年の朝鮮戦争でソウルが開放された数日後”北”からの要請で家族と共にすぐに北朝鮮に向かった。
北朝鮮では素晴らしい環境の元で、研究を行いビニロン工場を建設し国民的英雄となった。

◆35年前にこの本を読んで大きな感動を受けた。
李博士を尊敬し、少しでも近づこうと必死だった。
そして李升基博士と共にビニロンの開発を行なった桜田一郎先生の弟子の松澤秀二先生に師事し、何とかビニロンに続く繊維を発明し、帰国して祖国に貢献しようと真剣に考えていた。

◆しかし、それは陽炎のごときうたかたの幻想だった。
北に渡ったトンムは収容所で変死し、親戚は栄養失調で病死していった。
チュチェ思想””理想の国”は儚い砂上の楼閣でしかなかった。
28歳の時に”ラングーン テロ事件”が起こり、これは絶対におかしい!
そう考えて”転向”したのですが、そこにはかつて共に戦った先輩がすでにいたのです。
「過ちを改めるのに遅い事は無い!」
彼はそういって慰め励ましてくれました。
そして現在に至っているのです。
亡くなった先輩、生き別れた親戚の為にも絶対に泣き言を言う事はできないのです。

★長くなりましたがこれからが本題です。
最近の「テポドン」について検索していたら、核開発のリーダーは元在日の4人の科学者です。とある。
しかも李升基博士は「核開発の父」でトップリーダーとされている。

参った。こんなところで李博士の名前が出てくるとは!

李升基博士はまさに数奇な運命を歩んだといえるでしょう。
その穏やかな笑顔と性格から人民のためにと言う思いから苦労されたことが伝わって来ます。
そんな方が最後には人類の終焉を招く核兵器の開発をしなければいけない胸の内ははどうだったのでしょう?

博士は1996年に享年91歳でご逝去されています。
 
(『PARK'S PARK』 2009年4月25日)

 

 北朝鮮ではビニロンは自国の発明品とされ、金日成が名づけた「ビナロン」という名で呼ばれているという。しかし「日本スゴイ」にかまけるこの国の排外主義的右翼にそれを笑う資格などない。いや、一部の右翼だけではない。今の日本人の大多数は、安倍晋三が自ら選んだと誇示した新元号に浮かれ、改元の瞬間には愚かしいカウントダウンをやるなどの馬鹿騒ぎに興じたり、その1か月前には新元号をいち早く自らの政治団体の名称に冠する政治家も現れるなどした。そんなカウントダウン騒動や政治団体名への批判さえろくすっぽなされないのが今の日本だ。
 とはいえ、ビニロンの原料であるポリビニルアルコールが白血病治療に大きな進歩をもたらしそうだとのニュースは、世の中悪いことばかりではないとの救いを久々に感じさせてくれた。

エベレストの頂上直下が「渋滞」とは怖すぎる

 昨夜(5/29)夜11時をだいぶ回ってからテレビをつけたらTBSのNews23でもやってたが、私はその前の昼休みに下記記事に接していたのだった。

 

www.afpbb.com

 

 エベレスト頂上直下の「渋滞」とは怖すぎる。あんなところで渋滞したら死んでしまうぞと思うし、事実ベテランの登山者にまで渋滞に起因する死者が出ているらしい。

 

 今シーズンの死亡例のうち少なくとも4件は登山者の混雑が原因とされている。寒さが厳しく空気が薄い危険区域、いわゆる「死のゾーン」では複数の登山チームが時に数時間立ち往生することもあったという。

 

出典:https://www.afpbb.com/articles/-/3227109

 

 News23では、好天時には渋滞が激化するからと、それを避けてやや天候が良くないタイミングに頂上に登り、無事下りてきたという登山案内者の話を紹介していた。

 山の渋滞といえば槍ヶ岳の穂先を思い出すが、20年近く前の秋に、登山者の多い槍沢経由でなく東鎌尾根経由のいわゆる「表銀座縦走路」から槍の穂先に立ったときには、他の登山客のいない時間が何十分も続き、快晴の頂上を満喫したものだったが、あそこも登山客が集中する時間帯だと大渋滞が起きて殺気立った空気になると聞いた。しかし槍の穂先での渋滞で死ぬことはまずない。標高3千メートルと9千メートル近くとは全く比較にならない。まあ私がエベレストに行くことは絶対にないのだが。

 そういえばひところは新聞の見出しは「チョモランマ」とされていたが(特に故長谷川恒男がよく登っていた頃=1980年代)、最近はまた「エベレスト」表記が主流になっているな。たとえば検索語「チョモランマ」でググっても、筆頭に表示されるのはWikipediaの「エベレスト」だったりする。どういう変遷があったんだろうか。

「天皇代替わり」と「敬語」

 私は昨年3月頃までは天皇制を「好ましくないが保守派(や右翼)との妥協のためには止むを得ない」として容認していたが、長い天皇制容認時代を含めて天皇天皇家の人たちに対して原則として敬語は一切使わなかった。「原則として」というのは、この日記に書いた文章だったかどうかは忘れたが、例えば「(天皇制を止めたあかつきには)皇族には京都に戻っていただく」といった言い回しはした覚えがあるからだ。天皇や皇后に「陛下」をつけたり皇太子その他に「殿下」をつけたことも一度もない。近年、「陛下」や「殿下」をつけない「天皇」「皇太子」などの呼称を「呼び捨てだ」とする批判が、産経新聞を含めた極右からなされるようになって、あの石原慎太郎までもがこの批判に晒された。石原は「皇太子は皇太子じゃないか」と憮然としていたが、これは本当にその通りで、この伝で言えば外国の「国王」や「女王」という呼称も呼び捨てになってしまう。こんな馬鹿げた言い草はない。

 下記石丸次郎氏の記事は、5月14日付毎日新聞大阪本社版への寄稿に加筆したものとのこと。

 

news.yahoo.co.jp

 

 以下に石丸氏の記事から引用する。

 

代替わりに際し、全国紙もテレビも敬語で溢れた。一方、毎日の新天皇即位の日の別刷りでは、経歴を紹介する記事で、「ピアノやバイオリンを幼いころから習い、大学のオーケストラではビオラを演奏した」などとして、本文では敬語の使用をかなり控えていた。朝日も別刷りでは控えめだった。天皇家を仰ぎ見る存在として扱わず、平準にしていこうという、ジャーナリズムとしての試みがあったのだろうと感じた。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/ishimarujiro/20190523-00127045/

 

 上記の文章には、毎日新聞への寄稿ゆえの「配慮」が感じられなくもない。私の認識では、天皇や皇族の記事でもっとも敬語の使用を「控えめ」にしているのは朝日で、私の記憶によれば毎日も朝日に準じていたが、2014年にやや敬語を使用をする頻度を増やしてそのまま「平成」末に至っていたはずだ。2014年は朝日が従軍慰安婦の自社記事に関する「謝罪」を突如行い、安倍政権をはじめとする右翼につけこまれた年であって、この時には毎日も朝日批判に加担していた。天皇・皇族関係の記事への敬語使用比率の増加も、それと関連した毎日の「右旋回」ではないかと勘繰ったものだ。

 まあそれでも代替わりを機に毎日が天皇・皇族に関する記事での敬語の使用頻度を減らしてくれるのであれば良いのだが。

 なお、石丸氏の記事では北朝鮮での金一族に対する敬語使用の指摘が興味深い。以下再び引用する。

 

(前略)共和制の韓国では、私の知る限り、報道記事中に政治家はもちろん、歴史上の人物に対して敬語を使うことはあり得ない。

北朝鮮の場合は正反対で、金日成金正日金正恩と、さらにその祖先に対して、最高敬語なしの報道はあり得ない。教科書を含め、あらゆる文書においてもだ。(後略)

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/ishimarujiro/20190523-00127045/

 

 元記事には具体例も挙げられていて興味津々だが引用は省略する。元記事を参照されたい。ただ、下記の勘繰りには笑ってしまったので引用する。

 

ただ、同通信の日本語ページのストレート記事では、金一族に対しても敬語は使われていない。一応は共和国を名乗り、社会主義を標榜しているため、外国向け報道記事では政治家への敬語使用を「恥」ととらえ、隠そうとしているのかもしれない。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/ishimarujiro/20190523-00127045/

 

 「外国向け」といっても、たとえば日本語の「××された」のような敬語は英語などには訳しようがないから、日本などの一部の国向けという意味なのだろうが、確かに日本の「左翼」の歓心を買うために、金一族への敬語の使用を隠そうとするのは大いにあり得ると思った。日本では、ちょっと金正恩が韓国との融和に傾いただけで金正恩を「本当はいい人」だなどと言い出す「左翼」がすぐに現れる。これには本当にうんざりさせられる。

 

 石丸氏の記事は下記「はてなブログ」記事経由で知った。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 上記記事の中で、下記の文章に注目した。

 

私は皇族に対して(関して)「敬語」は使わないけれど、「敬語」を使うのが常態化(無徴化)すれば「敬語」なしのフラットな表現は有徴化して、「敬語」を使わないだけで、何か特殊な(社会の主流派の秩序から見たら望ましくない)事情があるんじゃないかと勘繰られることになる。昭和の時代に西暦を使うというのはそんな感じだった。

 

出典:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/05/28/090602

 

  青字ボールドの部分は本当にそうで、最近の「陛下」や「殿下」の不使用や、上記記事の冒頭に言及のある「お疲れ様」騒動などその典型的な例だ、昭和時代にあれほど奇異の目で見られた西暦の使用に関しては事情は真逆(まぎゃく)で、安倍晋三が「2020年の憲法改正」と言っても、「なぜ『なんちゃら*12年』と言わないのか」などとは右翼もイチャモンをつけない。いくら「元号法」(1979年施行)を制定して元号を強制してもこうなるんだよなあ、との感慨を、かつてまだ西暦の使用が主流となる前の時代にさんざん「サヨクかこいつ」との目で見られた私は持つ。それはそんなに古い記憶ではなく、一番最後にこれをやられたのはプロ野球横浜ベイスターズが優勝した1998年だった。前回の改元(1989年)でかなり風潮は変わったが、「Y2K」を迎え、翌年には21世紀に入ったことによって一気に西暦が普及したんじゃないか。

 しかし敬語表現の流れは逆で、しかもそれは天皇制以外の領域にも見られる。「お疲れ様」騒動の議論で、かつて三木武夫中曽根康弘昭和天皇に「ご苦労様」と言ったことがあり*2、その頃には目上の人に対して「ご苦労様」という言い方をしてはならないという、今では普通に言われるようになった戒めなどなかったと指摘されていた。確かに私もこの物言いを知ったのはそんなに古いことではなく、明らかに今世紀に入ってからであって、もしかしたらブログを始めた2006年よりもっとあとだったかもしれない。月並みな仮説だが、これは日本社会の格差が拡大し、階級社会といえる状態になったことと関係があるのではないか。

 最後に、石丸次郎氏の記事から三たび引用する。

 

新しい「菊タブー」を作らせてはいけない。いや、減らしていかなければいけない。そのためには、日頃の表現によって自由にものが言えるスペースを広げていくことが大切だ。代が替わった天皇への敬語使用のありようを見て、そう考えた。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/ishimarujiro/20190523-00127045/

 

 本当にその通りだと思うが、私はこれに「新しい敬語や敬語の用法を作らせてはいけない」との主張をつけ加えたい。

*1:元号はこの日記では引用文を除いてNGワードにすることにした(改元前後の記事では元号を批判するために使用したが)。だから山本太郎政治団体についても「元号政治団体」と表記している。ただ今後選挙の場合などに使用を余儀なくされる可能性があることには今からうんざりしている。

*2:三木武夫の首相在任期間が1974-76年で、中曽根康弘は1982-87年だから、その頃のことだろう。

「野党共闘」は選挙制度再改変を目標に掲げ、共闘が時限的であることを明確にせよ

 デマゴーグ・田中龍作について調べれば調べるほど、奴の醜悪な本性がわかってきてうんざりするが、昨夜(5/27)にはこんなツイートを見かけた。発信者は立憲民主党支持者の方のようだ。

 

 

 

 2017年9月21日というと、前原誠司小池百合子の新党とくっつく妄動を起こそうとしたことが報じられる直前だ。だから、その時点での発言をとらえて「希望への合流をしようとした前原を評価した」と書くのは、必ずしもフェアとはいえないとは思う。

 実際、検索語「田中龍作 希望の党」でネット検索をかけると、希望の党には行かないと宣言した山本太郎を田中龍作が宣伝する記事であふれ返っている。

 とはいえ、田中龍作が小沢一郎一派、その中でも特に山本太郎の宣伝役を買って出てスピーカーになってきたことは間違いない。

 その田中龍作が、2013年に比例代表制を不当に貶めるデマを発信し、それを真摯な態度で批判した人の反論を黙殺し、東京新聞週刊金曜日やTBS(サンデーモーニング)といった「リベラル」の報道を誤らせたことは、私にとっては絶対看過できない。

 なぜなら、現在の「野党共闘」を私が支持しない理由は、「野党共闘」が衆院選小選挙区制を改めるという当然掲げなければならない課題をスルーしてしまっているからだ。選挙制度の再改変を実現するまでの時限的な「野党共闘」であることを鮮明に示すのであれば、私はむしろ積極的に「野党共闘」を支持・応援する。現在の「野党共闘」にはそれができていないから支持せずに強く批判するのだ。

 なぜ「野党共闘」にそれができないかといえば、言わずとしれた小沢一郎への「忖度」だ。「野党共闘」の推進者たちが、「共闘」の事実上の首謀者である小沢一郎が「小選挙区原理主義者」であることを「配慮」して、選挙制度の議論を棚上げしてしまっている。また、立憲民主党支持者の一部にも、かつての民主党全盛期のような大勢力になれば小選挙区制が自らの有利に働くという下心があって小選挙区制を支持している人たちがいるかもしれない。しかし、そういう人たちは、現在の立憲民主党への支持がいかに限定的なもので全然広がっていないか、その事実を直視することだ。

 この日記のアクセス数は、一昨日(5/26)に6千件を超え、昨日(5/27)には7千件寸前までいった。こたつぬこ(木下ちがや)氏のツイートにリンクを張って紹介された影響と思われるが*1はてなブログに移ってからは最多だった*2

 もう今朝はずいぶん減っていつものアクセス数(1日平均2千5百件前後)に戻りつつあるが、まだ多少アクセスが残っているうちに改めて書いておく。「野党共闘」は衆院選小選挙区制をとっている以上とらざるを得ない戦法だとは思うが、本来の姿ではない。比例代表制であれば選挙での「共闘」など必要ないことは自明だ。比例代表制であれば政党本来の政策を堂々と主張できる。比例代表制だと政権交代できないではないかと反論する向きもあるが、現在のような「一強」では小選挙区制の方がよほど政権が硬直し、権力者が好き勝手に振る舞える。現に安倍晋三がそう振る舞っている。

 比例代表制であれば、政権への批判が強まれば与党は過半数を獲れず、それまでの野党を連立に組み入れなければならなくなる。新たに連立与党に入った政党も、連立に入ると同時に総理大臣に忖度ばかりしていると次の選挙で議席を大きく減らすから、自分たちの政策を取り入れさせようと、真剣に第一党と折衝する。そこには緊張関係が生まれる。

 このように、どう考えても比例代表制小選挙区制よりも民意を正確に反映する選挙制度だ。実際には小選挙区制の要素も取り入れつつ、議席配分はあくまで比例制に基づくという制度が良いと思うが、少なくとも「野党共闘」は選挙制度の再改変を大きな課題にしなければならないと私は信じる。これは高校生時代からもう40年間も変わらない信念で、だから1993年の衆院選では野党には投票したものの「政治改革」という名の選挙制度改変に消極的な自民党の善戦を期待したし(実際自民党議席は解散時とほとんど変わらず、ただ単に小沢一郎一派が抜けたために「下野」しただけだった)、2009年の民主党への政権交代を期待する声が高まっている最中にも、『きまぐれな日々』(現在は更新停止中)に小選挙区制を批判する記事を何度も公開した。4年前に過去を振り返って書いた記事にリンクを張っておく(下記記事で引き合いに出した人には申し訳ないけれど)。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 本日のまとめ。私は「野党共闘」は今は支持しないが、選挙制度小選挙区制から比例代表制中心の制度に改めるまでの時限的なものだと明確化するならば支持に転じる。しかし、私が田中龍作を容認することは絶対にない。奴は比例代表制に関するデマを拡散し、それを訂正も総括もしていないからだ。

 だから、田中龍作を徹底的に批判し続けるのだ。

*1:https://twitter.com/sangituyama/status/1132585672449990656

*2:もっとも安倍晋三が政権に返り咲いた2012年12月には1日平均1万アクセスを超えていたから、この6年半でアクセス数はずいぶん減った。

現代日本最悪のデマゴーグ・田中龍作に警戒せよ(まとめ)

 昨日(5/26)、田中龍作を批判する記事を3件書いたが、私がもっとも強く言いたいことをこの記事にまとめておく。

 三宅洋平が2013年の参院選に落選したことに関して田中龍作が発した、比例代表制を不当に貶めるデマは絶対に許してはならないものだ。特に左翼政党(共産党社民党)やその他の左翼勢力(新左翼など)を支持する者ほど、田中が撒き散らしたデマをきちんと認識し、これを徹底的に批判しなければならない。

 比例代表に関する田中龍作のデマは、意図してかどうかは知らないが、彼が支持・信奉する小沢一郎の「小選挙区原理主義」に奉仕するものだった。田中が発した比例代表制批判の中身は全くのデタラメだったが、それに反論した神戸のギタリスト、KEN-EYE氏の真摯な批判に田中は答えず、これを黙殺した。

 このような人間が発する言葉は一切信用ならないというのが私の立場だ。

 

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信濃毎日新聞社説、前天皇が公的行為を拡大して政治利用の余地を拡大させたことを指摘

 「信毎」(信濃毎日新聞)の社説は『広島瀬戸内新聞ニュース』経由で知った。

 

hiroseto.exblog.jp

 

 記事からリンクを張られているのは信濃毎日新聞の社説(2019年5月25日付)。

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190525/KT190524ETI090011000.php

 

 この社説だが、単に安倍晋三による天皇の政治利用のみならず、「政府による天皇の政治利用の余地を拡大させた」ことにも言及している。つまり、間接的にではあるが、前天皇(夫妻)の方向性に批判的に言及している。

 以下に、いくつかポイントをピックアップする。

 

 まず、冒頭部分で安倍政権による天皇の政治利用が違憲の疑いが強いとはっきり指摘している。

 

 日本国憲法上、天皇は国民統合の象徴であり、国政に関する権能を有しない。当然、政府は天皇を政治利用するのは謹むべきだ。

 代替わりに伴う一連の行事などで、安倍晋三首相がその原則を脅かす行動を続けている。代替わりや改元に対する祝賀ムードを、政権浮揚につなげる意図があれば憲法違反の疑いが強い。

 

 次に、

政府は前例踏襲といいながら、「平成」発表時に実施していない首相会見を開いた。元号を政治利用する狙いは明らかだった。

として批判。さらに「内奏」の公開も批判しており、前天皇時代の2013年12月にも即日ではなかったものの「内奏」の公開があったこともきっちり指摘している。

 社説の後半で前天皇時代の公務拡大に言及している。この部分はまとめて引用する。

 

 天皇が国政に対する権能を持たないのは、先の戦争に対する反省からだ。明治憲法統治権の総攬(そうらん)者だった天皇の名の下に軍部が独走し、悲惨な戦争に突き進んだ。

 憲法上、規定された天皇の役割は10項目の国事行為だけだ。上皇さまが続けられた被災地や戦地の訪問などは「公的行為」とされ、憲法に規定されていない。

 それでも平和を望み、国民と対話を進めた上皇さまの行動が国民の支持を得て、「平成流」とされた新たな象徴天皇の姿をつくりあげていった。

 一方で公的行為の拡大は、天皇の活動を憲法の枠外に広げ、同時に政府による天皇の政治利用の余地を拡大させた面もある。陛下が今後、どのような公的行為をされるのかは分からない。政権がそれを政治的に利用しないか、国民は目を光らせる必要がある。

 

信濃毎日新聞 2019年5月25日付社説より)

 

 社説は天皇制自体を問うところまでは言っていないが、それは今の商業新聞には無理な注文だろう。ここまで踏み込んだだけでも、朝日だの毎日だの東京新聞(中日)だのにはなし得ないところであって、さすがは桐生悠々主筆を務めた伝統を受け継いでいるとほめても良いと思う。

 

 

 

田中龍作が撒き散らしたデマと陰謀論をおさらいする - 現代日本最悪のデマゴーグ・田中龍作に警戒せよ(完結編)

 本エントリは3部作の完結編。下記エントリの続き。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 私が最初に田中龍作の記事に目を剥いたのは、2012年に小沢一郎が立ち上げた「国民の生活が第一」の結党パーティーで故勝谷誠彦が挨拶をしたことを取り上げた田中の記事を読んだ時だった。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 上記記事中には田中龍作の記事へのリンクは張られていないが、ネット検索で簡単に引っかかった。

 

tanakaryusaku.jp

 記事の引用はしないが、田中龍作が小沢一郎及び「小沢信者」御用達のライターであることをまず押さえておかねばならない。

 その次に田中龍作を取り上げたのは、先行するエントリに書いた通り、2013年7月の参院選直後だった。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 上記記事では、田中龍作の妄論を批判した下記ブログ記事を紹介・引用した。

 

 上記記事から、ブログ主氏が田中を批判した箇所を抜粋して引用する。

 

(前略)個人得票数は、あくまでその政党の名簿内で比較するのに使われるのみであって、当落には全く関係がないのである。

こういう事実を差し置いて、最初に提示した「三宅洋平の個人票は17万で落選なのに、渡辺美樹の個人票が10万で当選」を理由に、「比例代表制は大政党有利」などという主張をすることは、無知が元なのであればジャーナリストとして恥を知るべきであるし、意図的に歪めているのであれば悪質である。

https://twitter.com/tanakaryusaku/status/359512730278961155

(しかし、↑のツイートはすでに600以上リツイートされている。全てが賛同ではないにせよ、影響力のあるジャーナリストの1人として責任を感じてもらいたいものだ)

比例代表制への攻撃は、真に大政党有利、というよりは第1党のみが圧倒的多数を握る小選挙区制への傾倒をますます進め、日本の民主主義をさらに破壊することに繋がりかねない。

(現在、衆議院選挙制度において、比例代表制の存在は小選挙区制の害悪をわずかなりとも緩和する役割を果たしているが、既に「定数削減といえば比例を削る」という方針が繰り返されているように、単純小選挙区制を狙う権力側の謀略は非常に強いのである。私たちはこれを察知し、徹底して闘わなければならない)

※ちなみに、選挙区での当選ライン票は、比例よりは少なくなる(東京選挙区では60万ほど)が、「一票の格差」問題もあり、選挙区によって事情がずいぶん違う。といっても、混戦だった岩手でも当選者は26万票を取っており、17万票で当選できる選挙区はおそらくないだろう。

 

(『Melting Pot』より)

 

 当時田中龍作が発した悪質なデマツイートは下記。

 

 

 今読み返しても当時の怒りが生々しく甦る。こんなデマゴーグは絶対に許せない。

 当時私は下記のように書いた。

 

 この田中龍作というのは、ネットでちょっと調べたところ、自由報道協会所属の自称「ジャーナリスト」らしい。要するに「小沢信者」である。小選挙区制を推進した小沢一郎を婉曲に擁護するためにこんな戯れ言をほざいたのではないかと勘繰りたくなるが、世間にはこんな妄言に真剣に共感するらしい人間が後を絶たないようだ。

 日本の「リベラル」の将来は、どうみても真っ暗だ。

 

 呆れたことに、当時、東京新聞と『週刊金曜日』が田中龍作の尻馬に乗りやがった。

 

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 なお、上記記事につけたタイトルに「反知性主義」と書いたのは不適切だった。これは当然「反知性」とすべきところであり、要するに週金編集部はただの馬鹿だったってことだ。それはともかく、東京新聞も週金も平気で「小沢信者」系デマゴーグの尻馬に乗ろうとしたことは重大だ。

 一方、赤木智弘は田中龍作の妄論をきっちり批判していた。

 

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 当時赤木智弘が書いた記事へのリンクはまだ生きている。

 

blogos.com

 

 以下引用する。

 

今回の選挙では、ネトウヨも反原発サヨクも、非拘束名簿方式という選挙制度を自分勝手に利用した。
 どっちも酷いことは言うまでもないが、僕としては下手な屁理屈を並べて民意を否定する反原発サヨクに対しての方が、より腹立たしく感じている。
 都議選での「不正選挙」もそうだが、納得する結果にならなかったからといって、選挙制度のせいにしたり、民意を捻じ曲げるような恥知らずな言動は、今すぐにでも辞めるべきである。

 

(「【赤木智弘の眼光紙背】非拘束名簿方式をめぐる2つの嘘」2013年7月27日)

 

 余談だが、TBSの『サンデーモーニング』は、今日(2019年5月26日)の「風を読む」のコーナーにも白井聡を登場させてダメぶりを露呈していたが、この時にもダメダメだったようだ。ここまでくるとさすがに枝葉末節なのでそれを批判した私の文章を再掲するのは止めておくが。

 

 さて、2013年の参院選の次に田中龍作の記事で目を剥いたのは、同年秋に山本太郎園遊会で当時の天皇明仁への「直訴事件」を引き起こした時だった。

 

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 清水潔氏が田中龍作に疑問を呈したのは2017年2月だった。

 

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 青木俊氏が清水氏とつるんで田中龍作批判を行ったのはこの直後だった。現在の青木氏は大きく立場を変えて田中にすり寄っていることは既に書いた。

 昨年には、カルロス・ゴーン逮捕に絡んで田中龍作が「スピン陰謀論」を垂れ流した。これを批判したのがこたつぬこ(木下ちがや)氏だった。

 

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 以上が、この日記で田中龍作を批判した主要な記事だ(もちろんいくつかの記事は省略した)。

 その多くは、山本太郎や山本子飼いの三宅洋平に絡む記事で田中が発した妄論に関するものであって、果たしてこたつぬこ氏が言うように「山本太郎を評価して田中龍作のようなデマゴーグを批判する」ことが可能なのか、両人はだいぶ前から密接不可分の関係なのではないかとの疑念も頭に浮かぶが、とりあえずは両者を切り離して田中を徹底的に批判することを試みるか。どうしても山本太郎への批判に踏み込まざるを得なくなる気がしなくもないが。