ツイッター政治おじいちゃんお化け氏のツイートより。
僕も維新の野党第一党化を防いだのが、野田佳彦の最も優れた仕事の一つであると認識しています。
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2023年4月26日
ちなみにあの時期、小沢一郎は橋下徹への秋波を送りまくっていました。 https://t.co/yvQfxPWmbl
私は財政再建至上主義者にしか見えない野田佳彦(野ダメ)の経済政策をほぼ全否定するくらい批判的な人間だが、2012年の解散は仕方なかったと思う。というのは、あの時点で任期満了まであと9か月ほどしかなく、2012年の民主党と同様の地滑り的大敗を喫した2009年の自民党を思い返しても、同年に入ってからの党勢の急落を止める術など何もなかった。仮に野田が2013年夏まで解散を先送りした場合、維新が野党第一党になった可能性は極めて高かったと思う。というか野田が解散した時点で既に民主党は「死に体」になっていたわけで、あれ以上遅らせて勝機を得られた可能性はゼロだ。
「ちなみにあの時期、小沢一郎は橋下徹への秋波を送りまくっていました」というのは本当にその通りで、弊ブログはそのことを何度も書いてきた。「小沢一郎 橋下」でブログ内検索をかけたら証拠となる記事が山ほど出てくる。問題はこのことを小沢系の人たち(山本太郎と彼の元号政党の支持者や信者を含む、というよりその人たちが主流)が全然総括しようともしないことだ。
ちなみに自ブログ内で前記検索語で検索したら、2012年どころか2019年に書いた下記記事が見つかった。
上記リンクの記事で私は下記産経新聞の記事を紹介した。
以下引用する。
玉木、小沢両氏が橋下氏と共演 「ぜひ結集して」
2019/2/8 01:26
合併を目指す国民民主党の玉木雄一郎、自由党の小沢一郎両代表は7日夜のインターネット番組で、日本維新の会前代表の橋下徹前大阪市長と共演した。小沢氏は、橋下氏を「全野党をまとめるリーダーだ」と評し、「ぜひ結集してほしい」と国政進出への期待感を示した。橋下氏は政界復帰の可能性を否定した。
(産経ニュースより)
URL: https://www.sankei.com/article/20190208-KOTWSBQLIBM3ZKG6B6ZISVSTIA/
この頃の小沢が何をやっていたかといえば、それは国民民主党への合流だ。
ここまで書いてやっと思い出したが、当時、山本太郎の支持者の中には「太郎さんは本当に国民民主党に行くんだろうか。立憲民主党入りするんじゃないだろうか」と言っていた人がいた。当時の山本支持者たちの間では立民は民民と比較するとむしろ肯定的に受け止められていたのだった。しかし山本が実際にとったのは、上記産経記事が出た時点ではまだ発表されていなかった新元号を党名に冠した新党の設立であり、いかにも右翼的な印象を与えるこの新党を率いて、山本は徹底的に立民と敵対する路線を選択したのだった。一方小沢は翌2020年には泉健太らとともに新立憲民主党に参加した。そして2021年の同党代表選では泉の代表選出に大いに貢献した。その見返りが得られなかったとして現在は「反泉」の立場に立っているが、小沢こそ泉を立民代表に持ち上げた戦犯、もとい人物なのだ。
上記記事の少し後には下記の記事を公開した。
以下、時系列を遡っていく。下記記事は2019年2月11日付。
下記は2019年2月10日付。
2018年11月11日付。
大きく遡って2014年12月6日付。下記記事にいう「野党共闘」とは民主党と維新の党との選挙協力を指す。
2014年7月13日付。
2013年1月4日付。
2012年11月20日付。
2012年10月2日付。
上記記事中にブログ『日本がアブナイ!』からの引用がある。
以下、弊ブログが赤字ボールドにして引用した部分を、赤字ボールドにはしないで再掲する。
小沢氏は先月も、維新の会についてきかれるたびに、橋下徹氏と基本的な考え方は変わらないとして、同会と連携し得ると発言し続けているし。先週も、維新の会も含む形で第三極による連携の必要性を主張している。
『国民の生活が第一の小沢一郎代表は27日のBS11番組収録で、次期衆院選での新党「日本維新の会」を含む第三極の協力に関し、「連携の仕組みができなければ民主、自民両党に代わる新しい政権はできない。それができれば300選挙区みな勝つ」と強調。(産経新聞9月28日)
この2012年まで遡ると、小沢が橋下にすり寄った発言だらけになる。
2012年9月2日。
2012年8月2日。
TPPには小沢に先駆けて橋下徹が反対しており、小沢はそれに追従した形だったようだ。
2012年7月9日。
上記は旧ブログの下記記事にリンクを張っただけの記事。
2012年7月8日。
2012年4月15日。
2012年4月5日の記事を2件。
2012年3月25日。
2012年3月8日。
2012年1月5日。
2011年12月25日。
2011年12月11日。
2011年11月30日。
キリがないし時間切れになったのでこのあたりで止めておく。なお、上記記事と同じ頃の2011年11月27日に、つい最近も批判した濱口桂一郎氏のブログを批判した記事があったので、おまけとしてリンクしておく。